正確な原因を掴み、対策を実行するまで終わらない
わたしが障害を抱え、今に至るまで ⑪
~現在に至るまでの経緯 その11~
リワークに通い始めて半年ほど経過した頃だった。わたしは不貞腐れていた。基本的にわたしがリーダーを任され続けていることに不満を覚えていたのだ。スタッフさんたちから良いように扱われているような気がしていたし、わたしがその時点で出来ることをやり続けることに有意義さを見出せなかったためだ。当時のわたしの視点では、やれることは残されていないように思えていた。実際はそんなことはなく、わたしに残されている課題は山ほどあった。視点が低いと見えるものは必然的に少なくなる。わたし自身、ある程度リワークでの立ち位置を獲得し、驕っていた。このような馬鹿者に、懸命な言葉は届かない。わたしはスタッフさんたちへの不信感から、あまり相談することなく再就職活動を始める。
わたしが世間様に通用する経歴は現場での経験しかない。もう自分は大丈夫だと過信の塊だったわたしは、自宅から通勤に1時間以上かかる食品メーカーの作業者として雇われることになる。障害は隠した。告知義務はない。クローズ就労と言われるものだ。面接ではかつてのライン長経験をアピールし、向こうは人不足もあってすぐ採用が決まった。最初からフルタイムで、かつ残業もある前提の仕事だ。無謀だった。さっさとリワークから離れたいという思いが強かった。良い返事をもらえたので、リワークに電話だけ入れ、もう行かないと伝えた。担当のスタッフさんからは一度落ち着いて話をしようと提案されたが、ほぼ無視する形でリワークを出た。恩知らずと恥知らずを2乗しても足りないくらい愚かである。結果はおわかりと思うが、愚か者に相応しい末路を辿ることになる。
離職率が高い職場であるため、体験と称してまず業務をやってみて働けるか判断を促された。わたしは、過去の遥かに熾烈な現場が経験があったため、これくらいならやっていけるだろうと3日ほどで正式に正社員として雇ってもらうことにした。待遇も悪くなかったため、タイミングを見て職場の近くに引っ越すつもりだった。しかし、その現場もいろいろな業務があり、一番厳しいラインを任され始めたところから体調を崩し始める。体を使う仕事のため、体の手首、腕、腰がとにかく痛い。精神的にもおかしくなっていく。とにかく不安を強く感じるようになる。周囲からどう思われているのか。障害を隠したことがバレているのではないか。社内で噂になっていないか、など。余裕がなくなっていく中、業務も効率よく行えないことを先輩社員から注意を受けるようになる。わたしは、再就職1ヶ月経たないうちに3日間体調不良で休むことなる。そして、休み明け、なんとか体を引きずりながら出社すると先輩社員からの恫喝が待っていた。「早く辞めろ」「もう任せる仕事はない」「お前なんてなにをやってもだめだ」といった内容をかなりの剣幕でまくし立てられた。翌日、診断書を持ち、辞める旨を責任者に伝えた。うつ病にかかるのは本当に初めてなのかと聞かれたが、初めてだと嘘をついた。その責任者はわたしの経験値を惜しいと思っていただけていたらしく、また働き始めることがあったらぜひ声をかけてくれと最後に言ってくれた。社交辞令だったかもしれないが、少し嬉しかった。
わたしは、どの面下げて、だが、またリワークに通えないか担当のスタッフに連絡を取った。すると、快く受け入れてもらえた。ありがたい話だ。
リワークで再就職先であったことを相談した。そして、経験したことをまた言語化してまとめることになった。その出来上がった書類で担当のスタッフさんと面談をしている時だったと思う。わたしが頭の中が整理し辛い、といったことを相談した。そこで初めて、わたしが発達障害、ADHDかもしれないといった話が出る。主治医に相談することになった。
わたしの主治医は、薬を処方し、効果があったかどうかで診断することが多い。発達障害かどうかの診断は、両親からの聴取、および専用の検査で行うことがほとんどだ。しかし、これらの診断はグレーゾーンと診断されるとなにも治療が行われないケースがよくあるようだ。これは、時間をかけ、つらい検査を行った方は納得がいかないだろう。わたしの主治医は、ADHDの薬が副作用が特にないことから、とりあえず始めてみて様子をみようと言われた。
飲み始めて3日くらいだったと思う。明らかな変化があった。頭の中がとてもクリアになっていったのだ。ぐちゃぐちゃしていたものが、一気に落ち着いていったのだ。リワークの担当のスタッフさんに話すと、頭の中の絡まっていた糸が解けた感じだと表現する人がいた、と話してくれた。正しくその表現がぴったりくるのだ。主治医にも、目に見えて楽になったと話すと、正式にADHDと診断が下された。今まで苦しんできたんだね、とも言われた。わたしは自身が発達障害と診断されて、今までのことが納得が出来た。ほっとしたのだ。双極性障害の症状を誘発していた原因は発達障害にあったのだ。初診から14年が経っていた。ここからわたしのうつ症状というものがやっと改善を見せていく。
この辺りからわたしの意識が変わり始める。もうわたしが生きていくにはなりふり構っていられないのだと。出来ることをやっていこう。まず目の前の出来ることからだ。障害者手帳を取ろう。わたしは今を受け入れなければいけない。わたしは普通ではないのだから。
今回の経緯はここまでです。
~後述~
ここに至り、やっとわたしは自身の現状を掴み始めます。そして、今を受け入れ、認め、そこから変わっていくためのきっかけを得ました。ここからわたしは自分というものが見えてきます。どう変わっていきたいのかも。
皆さんは自分、というものを受け入れることが出来ているでしょうか。認めたくないこと、聞きたくない事実、見たくもない自分というものがあるでしょうか。わたしが思う自身を受け入れるというのは、これらを自分の一部として認めてあげることだと思っています。これは、自尊心、プライドが高すぎると出来ないことです。プライドが高すぎると自身の良くない要素を認めることが難しくなります。わたしは自身を受け入れることが出来ないとその人の成長は見込めないと結論付けています。何度かお話ししておりますが、結果には原因があります。自身の今の現状は一つの結果です。自身がそうなった結果には原因があります。そして、その結果を少しでも回避したかったと考えるのならば、その原因を取り除いてやる対策が必要になる。しかし、自身の現状を受け入れることが出来ず、認めないという姿勢を取ってしまうと正確な自身の現状、結果、もとい立ち位置を把握することは出来ません。そこから自身がなりたい自分に成長するために必要な対策、行動が見えない。よって、成長が見込めないと結論付けています。わたしはとにかくわたし自身の現状を受け入れる努力をします。言われたくない、認めたくないことを指摘されている時こそ、心を開き、耳を傾けます。それがわたしにとって必要な言葉である可能性がとても高いと考えているからです。自身の現状を直視し、認めることは勇気がいることです。ですが、あなたがあなたらしくあるためには避けては通れないでしょう。40点の人は、41点を取るための努力が必要です。その1点1点の積み重ねが、大きな結果、なりたい自分に届く方法だと信じています。わたしは今の成長し続ける自分であり続けたい。生涯を終えるまで。
では、今回はこれで。
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。
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