本能寺の変1582 【重要史料】 240902 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重要史料】 240902
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信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
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【重史001】 ◎第52話① ◎第52話②
殿内にあって彼は余所者であり、 『日本史』
【重史002】 ◎第53話
美濃国住人、土岐の随分衆なり、 「立入左京亮入道隆佐記」
【重史003】 ◎第54話
禁裏御料所山国庄の事、 「立入宗継文書」
【重史004】 ◎第54話
濃州より、親類の方、 「兼見卿記」
【重史005】 ◎第55話
時 は今、あめか下なる五月かな、 「続群書類従」
【重史006】 ◎第8話 ◎小8
妻木惟向州妹、参宮、 「兼見卿記」
【重史007】 ◎第8話 ◎小8
惟任の妹の御ツマキ死におわんぬ、 「多聞院日記」
【重史008】 ◎第8話 ◎小8
①一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
【重史009】 ◎第14話 ◎小14
狡兎死して、走狗煮らる、 「史記」越王勾践世家
【重史010】 ◎第14話 ◎小14
佐久間殿は、信長の総司令官であり、 『日本史』
【重史011】 ◎第58話①
万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ、 「看聞日記」
【重史012】 ◎第58話②
今度、四国に至って差し下すに就きての条々、「寺尾菊子氏所蔵文書」
信長、淡州に至って出馬の刻、 「 〃 〃 」
【重史013】 ◎第7話 ◎小7
惟日、以ての外の所労に依り皈(帰)陣、在京なり、 「兼見卿記」
【重史014】 ◎第7話 ◎小7
(光秀の)長男は十三歳であった。 『日本史』
【重史015】 ◎第51話 ◎小51~小52①②
この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。 『日本史』
【重史016】 ◎第1話 ◎小
さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、 『信長公記』
【重史017】 ◎第1話 ◎小
漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。 『信長公記』
【重史018】 ◎第115話 ◎小115
我ながら驚き入る計りに候、 「武家事紀」
【重史019】 ◎第116話 ◎小116
路次険難、老足叶うべからざる儀に候間、 「武家事紀」
【重史020】 ◎第74話 ◎小74
中国備中へ、羽柴筑前守相働き、 『信長公記』
【重史021】 ◎第74話 ◎小74
①今度、間近く寄り合ひ侯事、天の与ふるところに侯間、
②中国の歴々討ち果たし、
③九州まで一篇に仰せつけらるべきの旨、
④ (惟任日向守) 先陣として、出勢すべきの旨、
『信長公記』
【重史022】 ◎第70話 ◎小70
①関東八州の御警固を申しつけ、
②老後の覚えに上野に在国仕り、
③東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
『信長公記』
【重史023】 ◎第77話 ◎小77
①時に、明知、齢(よわい)、六十七、
②齢(よわい)、六十七、
「当代記」
【重史024】 ◎第79話 ◎小79 第79話
①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、
②また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、
「春日文書」
【重史025】 第200話
①惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、
②濃州土岐一家牢人たりしか、
③越前朝倉義景を頼み申され、
④長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、
⑤念珠(ねんごろ)にて、六寮、旧情、甚に付て、
「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
【重史026】 第201話
筒井へ、惟任日向守より申し来たる
「多聞院日記」
【重史027】
①情無く、主の頸を切り、
②毒飼を仕り、殺し奉り、
③大桑を追ひ出し侯。
④むかしは、おさだ、いまは、山しろ、
『信長公記』
【重史028】 そ第78話⑫
一両日中に、御上洛の旨候間、是に、相待ち申し候、 「小畠文書」
【重史029】 そ第78話⑦
惟任日向守、安土より坂本に至りて帰城仕り、 『信長公記』
【重史030】 そ第78話⑩
坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参着。 『信長公記』
【重史031】 そ第78話⑫ そ第78話⑬
①廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣。
②廿八日、西坊にて連歌興行。
③ときは今、あめが下知る五月哉
④五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
『信長公記』
【重史032】 そ第78話⑬
ときは今、あめかしたしる五月かな、 「惟任退治記」
【重史033】 そ第78話⑭
①五月廿九日、信長公、御上洛。
②御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛。
③今度は、御伴これなし。
『信長公記』
【重史034】 ◎第65話
三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れられ、御動座。
『信長公記』
【重史035】 そ第78話③
四月廿一日、安土に御帰陣。 『信長公記』
【重史036】 そ第78話③
①中国進発の事、来秋たるべきの処、
②重ねて、一左右次第、出勢すべく候、
③猶、惟任日向守、申すべく候也、
「細川家文書」
【重史037】
①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。
②其の御礼として、徳川家康公、幷びに、穴山梅雪、今度、上国侯。
『信長公記』
【重史038】
①五月十四日、
江州の内、ばんばまで、家康公・穴山梅雪、御出でなり。
②同日に、
三位中将信忠卿、御上洛なされ、ばんば、御立ち寄り、
『信長公記』
【重史039】 そ第78話⑤
①五月十五日、
家康公、ばんばを御立ちなされ、安土に至りて御参着。
②御振舞の事、惟任日向守に仰せつけられ、
③十五日より十七日まで、三日の御事なり。
『信長公記』
【重史040】 そ第78話⑥
①その盛大な招宴の接待役を彼(光秀)に下命した。
②これらの催し事の準備について、
③信長は、ある密室において、明智と語っていた
④反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、
⑤信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴にした
『日本史』
【重史041】 そ第78話⑥
①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろうと欲した
②過度の利欲と野心が募りに募り、
③それが天下の主になることを、彼に望ませるまでになった
④企てた陰謀を果たす適当な時期を、ひたすら窺っていた
『日本史』
【重史042】 そ第78話⑧
①尚々、頼辰へ、残らず申し達し候
②今度、御請け、兎角、今に到り、延引候
③御朱印に応じ、此の如き次第を以って、
④不慮、成し下し候はん事、了簡に及ばず候、
⑤東州、平均に属し奉り、御馬を納められ、
⑥何事も何事も、頼辰、仰せ談じらるべく候、
「石谷家文書」
【重史043】 ◎第2話
①既に、信長公、御座所、本能寺取り巻き
②是れは謀叛か、如何なる者の企てぞ
③是非に及ばず
『信長公記』
【重史044】
書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候 「細川家文書」
【重史045】 そ第78話⑯
惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、 『信長公記』
【重史046】
①二月朔日、信州、木曾義政御身方の色を立てられ侯
②二月二日、武田四郎父子・典厩(武田信豊)、木曽謀叛の由承り、
③二月三日、信長公、諸口に出勢すべきの旨、仰せ出だされ、
④二月三日、三位中将信忠・森勝蔵・団平八、先陣として、
『信長公記』
【重史047】
①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座なさるべきについて、
②三好山城守、四国へ出陣すべきの事。
③惟任日向守、出陣の用意すべき事。
『信長公記』
重史048】
①三月朔日、三位中将信忠卿、飯島より御人数を出だされ、
②高遠の城は、三方さがしき山城にて、
『信長公記』
【重史049】
①三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は、尾続を搦め手の
口へ取りよせられ、
②中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、
『信長公記』
【重史050】 ◎第6話
①仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。
②東国・西国の誉を取られ、信長の御代を御相続、
③代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
『信長公記』
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