青春と恋の話。カルピスは濃いめが好き🟦エッセイ
人を想うと、心が温まるのはどうしてなんだろう。
自分の周りにいる大切な人や大好きな人を思い出すとき、いつも緩やかな気持ちになれる。
自分が会いたい人と会えること、言葉を交わして中身のない話題を投げ合って笑えること。一緒に色んなものを食べる時間、今度はどこどこにいこうねと『また会える』を前提とした次の約束ができること。
好きな人がいるだけで、日常に煌めきと心に温もりが灯る時間があっという間に増える。
一緒に過ごした時間が紡ぐ思い出や、並んで見た新鮮な景色の記憶を何度も頭で再生して眠りにつく夜が夜の中でいちばん好きだ。
日常で起こる小さな『そんなこんな』が緩めてくれる気持ちから生まれた温もりがあれば、冷え尽くす冬の寒さも乗り越えられそう。
私は好きな人と食べた料理の記憶が濃くて、歴代恋人と食べた料理で、いちばんおいしかったそれぞれの料理がある。
その時のシチュエーションや話した会話の内容、自分と相手との気持ちなどが重なり合ってその時しか味わえなかった、空間や感情の全てを込んだ唯一無二のおいしさがあったように思うのだ。
丸ごとの白菜を抱えて突撃した自宅での鍋パーティー、本音で話し合えた日の夜弾丸で行ったお好みやき、動物語を自分なりに解読しながら動物園で食べたキッチンカーのホットドック、みたいにその時はなんでもなく通り過ぎたような時間の中から、しっかりと記憶に色づいた思い出がある。
しばらく時間が経ってから「あの時食べた〇〇(料理)を超えるほど、その食べ物をおいしいと感じられる日は来るだろうか?」とずっと思っていた。
だけど自分が新しく好きな人ができれば、また新たに『一緒に食べたおいしいもの』を更新していくことができる。
それぞれの思い出は心に残したままでも、新しく
『おいしい』も『幸せ』も、自分がまた恋をして好きな人との出来事が増えれば増えるほど、自動的に更新していくことができるのだ。
ありきたりかもしれないが、いつまでも昔の恋を忘れることができないのは、シンプルに新しい思い出を更新していないからということが理由だったりする。
思い出は、「いつまでも縋って虚しい気持ちになるためのもの」ではなく、“たまに思い返して懐かしむもの”にするのがいい。
過去は、どんなことでも今とこれからの自分が幸せになれる材料として、使ってやればそれでいい。
今日は、カルピスを買ったらおまけでタンブラーをゲットした。青、白、水色の3色から選べたのだが最初にときめいた青をチョイスすることにした。
食器の青はとても綺麗で好きだ。食材では見かけない色だからこそ、お皿やコップなどといったアイテムに青を差し入れると、全体的な見た目がとても色鮮やかになる。
ここ数年で青い色が好きになった。青も藍も落ち着くのにスッとした綺麗さがあってとても素敵。
“青い若葉”など、青さは若さを指し示す言葉であったりもして、若かりしころの思い出のことを『青春』と呼ぶが、青春とは必ずしも「過去のもの」でないといけないという強制はないはずだ。
『青春』は過去で完結した、と思い込んで自分の人生を諦めたくはない。実際、幸せな人は『いつだって今がいちばん幸せ』で『それがずっと続いている』のだから。
今日から台所の仲間入りとなった青のタンブラーでカルピスを飲みながら、そんなことを思った。
カルピスの甘酸っぱさは“初恋の味”として有名だが、何歳になってからだって恋をするとこの甘さみたいなときめく味わいを楽しむことだってできるんじゃないだろうか。
南向きの窓からは眩い夕日が空を明るく照らしていて、洗濯物へ後光がさす。カルピスを飲んでからベランダで深呼吸をすると新鮮な空気がおいしくて、また新しく恋をして笑って生きていけそうなすっきりとした後味の生命力をもらった。
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