切り替えが早すぎる話 落ち込みからの立ち直り
たぶん私は落ち込んだ時の立ち直り、というか気分転換が早い。
落ち込む瞬間は谷底へ真っ逆さま、奈落かよ、と思うくらいに深~く落ちる。
落ちている最中は本当に辛い。
でも意識的にか無意識にか、あまり長くそこに居ない。
ずっとそこに居てはダメだという思い込みがあるのかもしれない。
落ち込んだ姿を人に見せちゃダメだというのも大きい。
いつも平常でいなきゃいけない、という謎の責任感。
あとは、私のテンションが低いことで周りの人たちを不快にさせちゃダメという、infjっぽい思考で。
なので毎日女優並みに上手く振る舞っている。
声色も自由自在に変えられる。
だから疲れるのだろうけど。
別々の人物である陰ヨガの先生と、鍼の先生に本質的に同じことを言われたという件が幾つもある。
その1つが、私は感情を溜め込みすぎているということ。
思いっきり泣いてみたら、と2人に同じように言われた。
ガチガチにガードを固めてどうにか生きていて、端から見れば普通を装っているけれど、傷ついた感情に向き合っておらず自己受容できていない、とのこと。
何故かバレてる。
いったん流す、というのは出来る。
しかし、ちゃんとは流れていなかったのだと思う。
溜まった負の感情は身体の組織、特に腰周りや背中の筋肉や組織に蓄積されていく、ということも聞いたことがある。
心の緊張が身体の緊張に繋がり、筋肉が萎縮するから、という理論だ。
腰椎の固さを何人もの整体師さんやマッサージ店で指摘されてきた上、たびたび腰痛になる私はそれを聞いてギクリとした。
やはり、流れていなかったのだ。
泣くというのは大人になると難しい。
映画やドラマの力を借りてたまに泣いて浄化できている、と思っていた。
でも本当はしっかり自分の本心と向き合わないといけない。
自分の感情から泣くことを恐れてはいけないのだ。
自分が悲しんでいる、悔しい思いをしている、寂しさを感じている、ということを自分で認めてあげなければいけない。
そして、しばらくそこにとどまって、気が済むまでその感情と一緒にいてあげたら良い。
時々その溜まった感情が溢れてしまうことがある。
以前、陰ヨガのクラスで瞑想を行った時、突然涙が出てきて止まらなくなってしまった。
別に具体的になにか思い浮かべたわけでもないし、嫌なことや悲しいことがあったわけでもない。
前半は、その場にいられることへの感謝や、環境への畏敬の念からの涙、そしてそこから意識が深い場所へ降りていったときに込み上げて来た感情の塊からくる涙。
他の人たちに見られると恥ずかしいなという雑念に負けて、それ以上感情の解放を行うことは止めてしまったけれど、あれは本当の浄化に繋がる良いトリガーだったはずだ。
あの続きを行いたいなと思うけれど、言い訳をして逃げ続ける自分がいてなかなかできない。
今度は感情が溜まる前に小出しにしていきたいとも思う。
次に奈落に落ちた時は、少しその景色を観察してみようと思う。
谷底の風景をじっくり味わってみよう。
落ち込んでる姿を人に見せることは、隙を与えることだと思っていたし、カッコ悪いから何も気にしていない素振りをしてきたけれど、別にその感情を人前で出しても大丈夫なのかもしれない。
もしかしたら意外な人が気持ちに寄り添ってくれるかもしれないし、聞いた人も自分の心を開いてくれるかもしれない。
恐がらずに世界と自分の間にある壁を壊していけたらと思う。
心を開いて生きていき、世の中の善意を信じていれば、その通りに善き世界になっていくかもしれない。
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