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#仕事について話そう
「カスハラ」を作った人は天才
カスタマーハラスメントが、カスタマーによるハラスメントではなく、カスのような人間によるハラスメントであることはみんな気付いていると思う。とはいえ、それを言ったらおじゃんになるので、みな言わないようにしているのだろう。
カスタマーハラスメント、カスハラというネーミングをした人のセンスはすごい。天才だと思う。
カスハラはクズのような人間によるハラスメントでもあるので、クズハラでもある。
コールセ
後出しジャンケンに辟易する
ここ最近、疲れていた。ストレスによる不正出血と微熱のダブルパンチで、わたしの許容量がおちょこサイズになっていることもあると思うが、仕事を辞めたい病が再発してしまった。とはいえ、衝動的に辞められるほど若くはない。
(若くても衝動的に辞めるのは賢明な選択ではないが、選択できてしまうのが若さの価値である。若さとは尊大で傲慢で向こう見ずであるからこそ輝きを放つのだ。若い人よ、どんどん身勝手に生意気に生き
残業すると、すべてが崩壊する
月曜日が祝日で今週は一日少ないはずなのに、やけに長かった。やっとこさの週末で、部屋は薄汚れているが片付けは後回しにして、机に向かう作業をしている。
リュ・ハンビンさんの『人生をガラリと変える「帰宅後ルーティン」』という本を読んで、時間割なども作ったのだが、どうにも何もできないことがわかった。帰りの電車は一時間半はかかるし、ちょっと残業をすれば、夕飯を食べるのは九時ぐらいになってしまう。食事をすれ
涙の数だけ強くなれないよ
「涙の数だけ強くなれるよ」と歌ったのは、1995年の岡本真夜である。
(この歌はいい曲)
近頃、苦労を重ね、痛い目にあって、我慢をして、その先によりよい未来が待っているとは、まったく思えなくなってきた。
ひどい目にあったら、性格が悪くなるだけで、人に優しくなどできない。「おまえもこれぐらい我慢しろ」とか言い出す人も結構いる。仕事の苦労自慢も、みっともない気がしてきた。
痛みに耐えることに価値
ホテルの屋上の温泉から見た満月
二年前のわたしはおそらく抑うつ状態であった。無職で、ぽつりぽつりと求人票を見て応募はしていたが、たくさん応募する気力はなかった。猜疑心いっぱいで、次の挑戦をするのが、ただただ面倒くさかった。面倒くさすぎて、人生を終わらせてしまいたいと半ば本気で思っていたが、あまりに臆病で実行に移すことはできなかった。頭にモヤがかかり、一人暮らしの自宅の重苦しさに耐えかねて、一泊二日の旅に出た。
行き先は長野の甲
誰も無理をしない職場は快適
入社してからでないとわからないことはたくさんある。
今の会社の人たちは、みな子育てや介護に忙しい。言い方を変えれば、基本的には「無理ができない人たち」である。
長時間労働は物理的に困難で、ほぼ定時に帰る。わたしだけ独身で、比較的自由な身であるのだが、「ちょっと無理をしてくれないか」というプレッシャーがない。おそらく、自分たちができないことを他人に強要することはできないのだろう。
そんなわけで
この人に負けていたのか、という衝撃
転職とキャリアチェンジをしてから、早5か月。業務内容や人間関係には慣れつつも、一度、体調を大きく崩したこともあり、退勤後と休日は完全にセーブモードで、ちょっとつまらない感じではある。
とはいえ、疲れているのか、外食するのも面倒。買い物にも思いのほか、時間がかかる。平日の夜は、noteの記事が書けない。無事に年末を迎えらえるようにすることが、ひとまずの目標。
ここ数日で、会社のメールを偶然目にし
「自分語り」「仕事語り」にご注意を
わたしは、「わたしは~、わたしは~」「ぼくは~、ぼくは~」と自分語りを始めてしまう人が嫌いだった。とりわけ、アーティストと呼ばれている人たちが延々と話すさまは見ていて醜悪ですらあると思っていた。おまえが話してんだから、わざわざ主語を言わなくても、わかるよ。何、「我」を強調してるんだ、日本語がわかってねえのか、とイライラしていた。
半分は妬み嫉みで、もう半分は教養を感じさせないしゃべり方を憎んでい