「普通」に働きたい
(今回は考え方のお話で、残業問題や働き方を問う記事ではない。ご期待に沿えない可能性があることをあらかじめ断っておく。)
以前の、とある職場の同僚のことをふと思い出した。その人は休職していた時期もあり、「私なんか」という自己卑下を繰り返していた。そのうえ、タイムカードは定時に打刻して、残業代を一切請求しておらず、管理職に呼び出しを食らっていた。その人の気持ちがわたしには何となく理解できていた。
わたしは新卒採用の就職活動が面倒くさすぎて真面目にやらず、フリーターを経て、正社員になったのだが、はじめて採用してもらったブラック企業ではサービス残業をめちゃくちゃしていた。フリーターだった自分を採用してくれたという感謝と、フリーターあがりの自分なんかを雇ってもらったという負い目があったからなのだが、残業代を払ってほしい、とは(二十代だったせいか)考えたこともなかった。
時を経て、わたしは「労働基準法を守ってください」としか思わなくなった。この法律は、政治家や官僚の思い付きで、できたわけではなく、労働者を保護するための先人たちの知恵であり、「労基法を守っていたら倒産する」と主張する経営者には、さっさと市場から退場せよ、と言えてしまうぐらいには、労働者らしくなった。
「働かせていただきます」というへりくだった気持ちで働くのは、労働者自身にとってよくないし、その空気感は職場にも良くない影響を与えるだろう。その気持ちゆえのサービス残業の常態化も、もちろんよくない。
その一方で、「働いてやっている」などという傲慢な態度も、非常に不健康だと思う。ベテランになったら、気を付けておかないと、それが言葉の端々に出てしまい、それも職場の空気を乱す。
この二つの感情をわたしはよく知っているのだが、どちらも好ましくはない。自己憐憫も、傲岸不遜も、どちらの感情も、過剰なのよ。
単に「働いています」というニュートラルな状態が一番適当だ。
働くことに過剰な意味付けをせず、自分も職場も、そこそこ大事にできたら、それが一番いい。何事もバランス。
「やらせていただきます!」とか「やってやってんだろ」なんて思わず、ただただフラットな心理状態で働く。その気持ちをキープできたら、長く働き続けることもできるのではないだろうか。今はそんな風に考えている。