「一人でできることなんて、たかが知れている」とは言うけれど
「一人でできることなんて、たかが知れている」という言説は、チーム、グループ、会社組織を肯定することに使われることが多い。もちろん、複数の人間が集まることによるパワーを讃える、という側面もある。
確かにそう。否定はしない。仕事を分担をすることで、大量生産ができるようになった。それはイギリスの産業革命やアメリカのフォードによって証明されている。(人類は一人では生きられないようにできている、という側面も少なからずある)
組織に属していると、いいことも多い。営業のしやすさは組織の看板の大きさに左右される。無形有形問わず、知名度があるからこそ売れている商品はごまんとある。そして、組織において、自分を一つの駒にすぎないと認識したとき、それは謙虚さにもなるが、ときに傲慢さにもつながる。普段の個人であれば、決してやらないような残酷なことができてしまう。その刃は、自分より立場の弱い者に向けられる。管理職であれば平社員に無理なことを押しつける。正社員であれば非正規雇用の派遣社員、契約社員、アルバイト、フリーランス(個人事業主)を搾取したり、粗末に扱ったりする。
「おまえはたくさんいる駒のひとつに過ぎないのだから、黙っていろ。わきまえろ」というプレッシャーをかける。それは組織の中にいる当人が、知らず知らずのうちに己が駒であることを内面化しているからこそ、やってしまう行為である。
駒が駒を動かすとき、組織の論理を盾にする。金儲けのために、ある程度、いろんな無理が許されてしまうし、当人が許されると思ってしまっている。
しかし、この理屈で物事を進めていくと、いずれ破綻する。下請けいじめをして利潤を生んだところで、下請けが潰れてしまったら、あてにしていた利ザヤも稼げなくなる。代わりはいくらでもいるかもしれないが、あんたの代わりだっていくらでもいる。
大きな組織と大きな組織が、個人事業主やフリーランスに委託をする。大企業にとって、彼らは利益を生み出してくれる金づるでありながら、駒のひとつにすぎない。そのような態度を隠さない人々は多い。企業と自分を一体化させて、自分まで大物だと勘違いしてしまったら、引き返せるだろうか。
まあ、大企業勤務の自分は最強だと思っていてもいい。しかし、そういうとき、弱い個人事業主(フリーランス)を矢面に立たせないでほしい、と思う。彼らを駒として使う以上、少なくとも、彼らを守る義務、後ろ盾になり、リスクを肩代わりする必要があるはずだ。
「一人ができる仕事なんてたかが知れている」「一人でできることは少ない」と組織の駒として働き、自分の非力さを自覚しているくせに、一人の人間から生み出されたものを尊重せずに搾取して、利益をむさぼろうとするのはどういう了見なのか。深層心理では、自分の無力さを疎んで、一人で何かを生み出せる人を妬んでいるのか。
自分は大きな仕事をしているのだから、多少の犠牲は仕方がない、などと勘違いしない方がいい。人ひとりができる仕事なんてたかが知れているのだから、あなたの仕事だって、傍から見ればどうでもいいレベルの仕事だ。
これは本当に自戒を込めて言っている。組織に属すると、人間はすぐに勘違いをする。弱い人間であることを認め、一緒に働く人を大事にしないといけない。自分が大事にされていると思った人間は、自分も他人も大事にできるだろう。
「使える」「使えない」などと他人をジャッジしている人は、組織の外に出たら、本当に何にもできない人たちばかりなのだから、気を付けておいたほうがいい、と思う。