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寂しさの渦に飲み込まれそうな日というのがたまにあって、そんな日は一日中犬にくっついて過ごす。いっしょに寝て、起きて、散歩して。そして、ちょっといいごはんを食べる。 ちょっといいごはんというのは、私ではなく犬にとっての。犬のごはんは普段ドライフードのみだけれど、こういう日は、りんごとかさつまいもとかゆで卵とか、2人でおなじものを食べる。 大人はどんなふうに、寂しさと付き合ったらいいんだろうね。子どもみたいに泣きつくことができたらいいのにと思うけど、大人はなかなかそういうわけ
新しく出会うひとを、自分の知っているひとと重ねてしまうことがある。 はじめましてのはずなのに、外見や表情、しぐさなどから、知っているひとと重ね合わせて見てしまい、そのたびに後ろめたさを感じていた。 親も子もはじめての幼稚園での、担任の先生もそうだった。 切れ長のきれいな目と頬のあたりが、大学時のサークルの先輩とそっくりだった。いつも知的で、鋭い指摘をしたかと思ったら、ふにゃっとぼけたところもあって、私はその先輩のことが好きだった。 3歳の息子はさみしがりやで泣き虫で、家
これは、女性の体についてのお話です。 でも、男性にも読んでいただけたらいいなと思いながら、書きます。 最近メディアでも話題になっているので、男性でも見聞きすることが多いかもしれない、女性の身体についてのお悩み。 もう聞き飽きたという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、どうか少しだけお時間をいただきたいのです。 私は、もうだいぶ前から、この記事の下書きを作成しつつも、何度も書き直しています。 話したいことはあるのですが、やっぱりこの話をするのはちょっとだけ
東日本大震災から、まもなく10年になる。 ここのところ東北地方に大きな地震があったりしていて、防災への危機意識は常に持っていきたいところである。 でも、防災の意識を持ち続けることって難しい。 そこで、若い世代の防災の意識を高め、役割を作り、つながりを広げていく事業アイデアを考えることにした。 それが「おとなのランドセル」という企画だ。 (なぜ防災士の資格を取得したのか。なぜ企画を考えたのかはこちらに載っています) 実は、この企画には続きがある。それは、ある大きな問題
東日本大震災から10年になる。 未曽有の大災害を私たちは絶対に忘れてはならない。 東日本大震災の直後、自分は防災士の資格を取得した。防災士とは防災や減災のためのあらゆる活動をしていく資格。本来ならば2011年の2月にその資格を取得をするはずだったけれど、当時の仕事が忙しく、直前で講座受講を断念。その直後に震災が起こり、何もできない自分が本当にくやしくて、くやしくて。 それからも、災害のボランティアや地域の防災アドバイザーなどを務めて来たけれど、もっと自分にはやらなければな
わたしの横にはもういないあなた。宛先のないこの手紙をどこに出したらいいのかわからないけど…… この数ヶ月、あなたに知らせたいことがあり過ぎるほどあるのに伝えられないってほんとうにもどかしいよ。あの日の夕方、あなたが息をしなくなってから何が起こったのか。あなたこそいちばん知りたいでしょうね。そしてわたしは知らせたくてうずうずしてるよ。 永遠の別れとわかった瞬間からしばらくみんなで号泣したよ。途方にくれるわたしのそばで、そこにいた誰にとっても人生最大級の悲しみだったというのに
今この瞬間の音楽が、楽しくてたまらない。 ステージに立つ妹が、そんな笑顔を見せた。 その顔があんまりに素敵だったので、そっとここに書いておきます。 随分と前から、この日に屋外ライブするよと誘われていました。 6つ下、高校生の妹からライブのお誘いを受けた私は嬉しくて、雨が降らないといいなあと楽しみにしていました。 当日は快晴、公園に常設されている演奏場はドームを半分に切った形で、軽音部の学生と保護者がちらほら。 思ったより到着が遅くなり、すぐに妹のバンドの演奏が始まりまし
「あなたの好きな色は?」 よく子どもの頃に聞かれた質問。 正直、少年時代はこの質問 なんの意味があるんだろうかと思っていた。 好きな食べ物だったり、好きなスポーツを聞くのはまだ分かる。そこからの話題の広がりようだったり、好きなものが被っていた時の「何だか友達になれそう感」も凄まじいものがあるから。 ところが、好きな色に関してはどうだろう。 好きな色が同じだった相手に「私も赤色好き!一緒に赤色を着よう!」となって服を合わせようと思うことは滅多にない。 そもそも好きな
2021年3月25日。誕生日おめでとう自分! 「赤いちゃんちゃんこの代わりに、オレのお気に入りのピンクで祝おうね」 私の2021年誕生日の祝い方について、夫はそう言い続けていた。 昨年の今ごろ、癌宣告を受け闘病がはじまった直後には、「来年もピンクビキニの姿が見たいから、オレ諦めないから、頑張るから」と希望を持っていたけど、残念ながら7カ月後に力尽きた。 願いは叶わなかった。 子どもたちが巣立ってから、旅に出る余裕ができて年に一度か二度は夫婦でカリビアンリゾートにでか
一日ほとんど布団の中。これがうつ病の症状が悪いときの私。 かつてはフルタイムで働いていた。そのうえ、買い物・料理・洗濯・掃除をこなしていた。 仕事の重圧でうつ病になったのに、働き続けることにしがみつき自分を駄目にした。自分の収入を失うのが怖かった。うつ病でアラフォー・アラフィフになって公務員という職を失えば、もうどこでも働けないと思い込んでいた。公務員という職にしがみついた。周りの目が気になり委縮しビクビクしていた。毎日自尊心を削られた。 激務職場に異動させられ、連日の残
今日はいちばん下の息子の誕生日びっくりしちゃうことに、今日で29 歳になった。一人前の大人だけど、母としては幼かったころの記憶がずっと繋がっているので、未だにマイ・ベイビーであり、たいせつな子どもだ。 1992年の3月29日、お産した入院先で、4人目の子となる三男の顔を見て幸せな気持ちでいた。誰にも気兼ねしなくていいようにと、夫が奮発してくれて、個室での入院生活を送っていた。 ゆったりした個室でありがたかったものの、夫に世話をお願いしている長女(7 歳)、長男(4歳)、次
「好きやねん。俺と付き合ってください」 彼から突然そんなことを言われたのが、ちょうど10年前の今日だった。 あの日のことを、わたしは今もよく覚えている。 高校3年生、卒業式も終えた3月末。同じ予備校に通い、同じ第一志望の大学にふたりして落ちたわたしたち。春からわたしは浪人生として予備校に、彼は地方の大学へ進学することが決まっていた。 小学校卒業と同時に離れてから、特に関わりもなかったただのクラスメイトの彼。高3の冬に予備校の自習室で偶然再会して、「久しぶりやなあ」「勉
「豆柴が飼いたいねん」 脂の乗ったテッチャンを網の上で転がしながら、表情を緩めてニヤニヤとつぶやく父。 父、母、ぼく、弟、妹。家族5人そろって外食するのは、ほんとうに久しぶりのこと。 妹とぼくは、地元を離れて大阪で就職しました。その大阪に2021年1月14日に出された、2度目の緊急事態宣言。「山と山の間の凹んだ部分に村作りました」と言わんばかりのド田舎の地元には、ここ1年ほど帰省できていませんでした。 そんな今日は、還暦を迎えた父の誕生日。弟・妹とLINEでお祝いする
グ〜でも、グルグル〜でも、キューッでも良いんです。 朝起きて、お腹が空いているなと感じられると、ちょっぴり”しあわせ”な気持ちになります。 人って案外、小さなことで「しあわせ」を感じられるような気がします。 淹れたての珈琲がふわっと香ったとき。朝の占いで乙女座が1位だったとき。ベランダから、洗濯物のよく乾きそうな青空が見えたとき。 「みんな気付いてないだけなんだ」のみたいな、 ”良いこと”を語ってしまいそうになります。ポエミーなのでやめておきますね。 ぼくは、not