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自分を大切にする責任

一日ほとんど布団の中。これがうつ病の症状が悪いときの私。
かつてはフルタイムで働いていた。そのうえ、買い物・料理・洗濯・掃除をこなしていた。

仕事の重圧でうつ病になったのに、働き続けることにしがみつき自分を駄目にした。自分の収入を失うのが怖かった。うつ病でアラフォー・アラフィフになって公務員という職を失えば、もうどこでも働けないと思い込んでいた。公務員という職にしがみついた。周りの目が気になり委縮しビクビクしていた。毎日自尊心を削られた。

激務職場に異動させられ、連日の残業の果てに限界がきた。もう休職は認められず、事実上クビになった。うつ病になってから16年間の病気と仕事を両立するための闘いが終わった。


最後の1年で頭と体を酷使したため、退職後はほぼ寝たきりになった。そんな時、親友に言われた。
自分を大切にする責任がある、と

そんな発想をしたことがなかった。だから、まず意味がわからなかった。
「自分を大切にする」ならわかる。だが、それに責任があるのか? だから「自分を大切にする責任」と言われても、最初が意味がわからなかった。

自分に対する責任とは何だろう?

私を大切にしてくれる人達に対する責任だろうか。私を大切にしてくれる人達がいるのに、当の私が自分を粗末にしている。これは、私を大切にしてくれる人達への裏切り行為だ。


私が私を大切にすることは、私を大切にしてくれる人達を大切にすることでもあるのだ。

気付かなかった。50年近くも生きてきて、まったく気付かなかった。

誰かを大切にするとは、その人のために自分を犠牲にしてでも何かをすることだと思っていた。本当に私を大切にしてくれる人達なら、そんなことは望まない。かえって心を痛めるだろう。

私を大切にしてくれる人達を安心させるために、大切にするために「私を大切にする。私を大切にしてくれる人達を悲しませないために、苦しませないために、私を大切にする。

そう、私を大切にしてくれる人達を大切にするために、私は私を大切にする。

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紬 余話(つむぎよわ)
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