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子育てはミラクルの連続なり

今日はいちばん下の息子の誕生日

びっくりしちゃうことに、今日で29 歳になった。一人前の大人だけど、母としては幼かったころの記憶がずっと繋がっているので、未だにマイ・ベイビーであり、たいせつな子どもだ。

1992年の3月29日、お産した入院先で、4人目の子となる三男の顔を見て幸せな気持ちでいた。誰にも気兼ねしなくていいようにと、夫が奮発してくれて、個室での入院生活を送っていた。

ゆったりした個室でありがたかったものの、夫に世話をお願いしている長女(7 歳)、長男(4歳)、次男(3歳)と三人の幼子のことが気になってしかたがなかった。ちゃんとご飯食べているだろうか、ケンカしていないだろうか、そもそも、家事力がゼロの夫がとつぜん、家事と幼子3人の世話を任されたのだから、何ごともスムーズになんていくわけもないのだ。

心配だったけど、4人目のお産はわかっていたことだ。とにかく、一週間の入院が終わって、新しく我が家に生まれてきてくれた赤ちゃんとわたしが家に戻るまで、無事に過ごしてほしいと願いながら、はじめての個室入院を堪能していた。

そこで、事態は起こったのだった

産んだ翌日だったのか、翌々日だったのかは記憶にない。夫はわたしと赤ちゃんに会うために、幼子3人を車に乗せて自宅から50分ほど離れた産院に急いでいた。もちろん、急いでいたといっても、入院している身なのでその様子は見えてはいないのだから後で聞いた話だ。携帯電話のない時代だったのだ。

産院の少し手前には踏切があった。その踏切りすぐ近くで夫は急ブレーキを踏んだそうだ。4歳だった次男は、車内でなにやら尖ったものをみつけて、それを手に握りしめていたらしい。何にでも興味を示す4歳児にとっては、「おもしろいものみーつけた」という感じだったのだろう。車内のシートの下にそんな危険物と化すモノが落ちていたとは……。

ブレーキを踏むことになったのも不可抗力だろう。ブレーキ踏んだ拍子に3人の子どもらは前につんのめった。そして、長男は手にしていた“尖ったモノ”で自分の左目を刺してしまった。

血がドヒャーと出たようだ

夫は気が狂わんばかりに青ざめたのも想像に難くない。

産院目前でのできごとで、うろたえた夫は血をだしている子どもを抱えて、そのまま産院に飛び込んだ。

「先生〜、先生〜!!」
「お願いしま〜す。目が、目が、目がぁぁぁ〜」

という怒鳴り声とも叫び声ともつかない、声が個室にも響いてきた。「ん?なんか階下がやけに騒がしいな」と思った。個室のテレビでは、再放送の『百一回目のプロポーズ』が映っていた。となりにいる赤ちゃんの顔を見たり、浅野温子や武田鉄矢のおりなすドラマを眺めたりしていたことを鮮明に覚えている。

階下の騒がしさがただごとではなく、下から聞こえる会話を聞こうとテレビの音のボリュームを下げた。叫んでいる声と他の子どもたちの声も、なんか聞き覚えがある。聞き覚え、あり過ぎる!!

続けて耳を澄ますと、

看護師が、「落ち着いて下さい、ここは産婦人科ですよ。眼科じゃありませんので」とトンチンカンな会話が聞こえてきた。相変わらず、「目が〜、目が〜※§※✗%∞※§※✗$∞※%§※✗∞※§※✗∞$」目が〜しかわたしには聞こえなかったけど、股に痛みが残るお産直後の体に鞭打って、階下に降りてみた。

目から血を吹いている息子を抱えて、発狂寸前、錯乱状態の夫がいた。

その瞬間、わたしも血の気がひいた

「今、すぐそこでブレーキ踏んだ拍子にタローが目を刺しちゃって。どうしよう、どうしよう、あわわわわわわ〜〜〜どうしよう」

やっと、事態を理解した看護師と産院の奥さんが、すぐに近くの眼科がある総合病院に連絡をとってくれて、「今すぐに連れて行きなさい」と手配してくれた。

ついて行きたくても、お産直後で無理な体だった。ひたすら、無事を祈り、夫が病院から戻るのを待つしかなかった。個室に戻って、しばらくすると、看護師さんが「だいじょうぶ?心配しないでと言っても無理だと思うけど、きっとだいじょうぶよ」と励ましてくれた。

ベッドに体を横たえながらも、体はぶるぶる震えていた。万が一、失明でもしたらどうしよう。悪いことばかりを考えてしまい、心神喪失状態だった。

ぶるぶるしていても、赤ちゃんは泣き出した。看護師さんが、「授乳のお時間ですよ〜」なんて言っている。赤ちゃんに向かって、「おっぱいほしいよね〜」と話しかけ、わたしをリラックスさせようと頑張っていたけど、それまで、たっぷり出ていたお乳はピタッと止まってしまった。不思議なくらい、体と精神は直結していると知った瞬間だった。

大変なことになったことを知り、上の二人は実家の両親が車を飛ばして、連れにきてくれて、しばらく預かってもらうことになった。

とにかく、待っている時間の長かったこと。どれほど経ったのかは忘れてしまったけど、手当を受けて戻ってきた。刺した場所が瞳ではなかったので、失明という最悪の事態はないだろうと聞き、体から力がぬけた。

「あ〜よかった〜」

ただ、涙腺という涙が循環する管が切れてしまったのでそれを繋ぐための、手術が必要との説明だった。しばらくは、涙を鼻に流すために管を入れられた痛々しい姿の4歳児を前に過ごすことになった。

赤ちゃんの名前もつき、退院したことはいいけれど、それからは乳児と3歳児、7歳児を抱えて、4歳児が手術を受けるために気が狂わんばかりの忙しい日々を送ったのが、今から29年前のできごととなった。

毎年、末息子の誕生日のたびに、この悪夢のようなことを思い出す。

これも、わたしの人生の一部だ

子どもが大人になるまでには何が起こるかわからない。ちょっとした気の緩み、ちょっとした不可抗力、気をつけていても、つけていなくても、起こるときには起こるものなのだ。

たいした怪我や病気に見舞われることなく、今日が静かでたいくつな日でいられることこそがミラクルなのだと思う。今日に感謝。

息子よ、誕生日おめでとう
♥立派な大人になってくれてありがとう♥

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yahoi /ライフエディター・エッセイスト
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