寂しさと戦わない
寂しさの渦に飲み込まれそうな日というのがたまにあって、そんな日は一日中犬にくっついて過ごす。いっしょに寝て、起きて、散歩して。そして、ちょっといいごはんを食べる。
ちょっといいごはんというのは、私ではなく犬にとっての。犬のごはんは普段ドライフードのみだけれど、こういう日は、りんごとかさつまいもとかゆで卵とか、2人でおなじものを食べる。
大人はどんなふうに、寂しさと付き合ったらいいんだろうね。子どもみたいに泣きつくことができたらいいのにと思うけど、大人はなかなかそういうわけにはいかないし。
一人と一匹暮らしであることを人に話すと、「犬といっしょなら、寂しくないね」と言われることがあるのだけれど、残念ながらそんなことは全くなくて、誰といたって寂しいときは寂しいし、それは犬であろうと人であろうと変わらない。家族と暮らしているときも、パートナーと暮らしているときも、寂しいときはちゃんと寂しかった。
もちろん、誰かがそばにいることで気持ちが紛れたり癒されることはあるけど、だからといって寂しさが消えることはないし、”寂しい”と思う気持ちは独立した感情なのだなぁとつくづく思う。
寂しさは予測できない台風みたいなもので、とにかく過ぎ去るのをじっと待つしかない。でも、寂しくててつらい日はいつか必ず終わるし、時が経てば大丈夫になることを、私たちは経験からちゃんと知っている。そんな理屈が全く無意味な日もあるけどね。
この“寂しさ”と思う気持ちを、ちゃんと表現したり伝えられたらいいのにと思う一方で、うまく表現できないそれも悪くないかなって思う自分もいる。共有できない寂しさは、つまり私だけのもので、「寂しさ丈けがいつも新鮮だ」という歌があるように、寂しさの中だけでわかる自分の内側というのも、きっとあるはずだから。
寂しさと仲良くするのは、今の私にはちょっと難しいけれど、でもこれまで何度も抜け出してきたし、その強さを少しは信じてみてもいいのかもしれない。