この世の大体のものには名前が付いています。人間も例外ではありません。 そしてほとんどの場合、名前は親から与えられます。つまり自分では決められない。そこには愛情や想い、願いが込められていることが多く、それがその人の人生に影響することもあれば、してないように見えるかも知れません。 私は誰であれ、名前の影響を受けていると思います。キラキラネームと言われるような極端に世間一般の名前から外れて苦労するといった人生だけでなく、太郎や花子のような名前の例に載るような人だけでなく。その言葉
何もしないということはアート的行為、創造的行為なんでしょうか。 特に現代ではその行為が生産的なのか?ということはよく気にされます。 休みの日に昼まで寝てるのは無駄だとか、写真や音楽が趣味と言うとオシャレな感じに聞こえてもアニメやゲームが趣味だと言うといかにもそれで時間をいたずらに消費しているように思われたり。 昨今はQOLやWell-beingなどのメンタルケアも話題になっていますし、寝るのはほとんどの人には不可欠なことなので、睡眠のゴールデンタイムに寝ていて怒られることは
ロロの『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』を見てきました。観賞した感想を含むので、たまたまこのページを見ていて「これから見に行くから!ネタバレとか勘弁だから!よろしく!」という方は閉じた方がいいかもしれません。 まず、私はちゃんとした劇場で上演される演劇作品を見た記憶がありません。学校の劇やちょっとしたお芝居はあれども、プロが演じるしっかりな"作品"を見たのは生まれてこのかた初めてで、それを打ち破ったのが『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ
物体に時間は記憶されるのでしょうか? その一つの形が、彼女の作品で示されていると思います。 宮永愛子さん。 現代美術家で、ナフタリン(主に防虫剤に使用されるもの、宮永さんも衣替えの際にナフタリンを見て政策に取り入れた経緯が)や塩などを用いて彫刻作品を制作されています。 材料の共通点として、”周りの影響を受けやすいこと”があり、故に作品はどんどんと形を崩していきます。これは彼女の制作テーマでもある「世界は変わりながらもあり続けている」に通じています。 ”あり続けている”と
「ポーリングアート」とも呼ぶそうです。球を転がして作品を作るボーリングアートではないのでご注意。フロイド=液体、流れる ポーリング=注ぐみたいにどちらもこのアートのメインマテリアル、工程を表しています。 実際にどんなものかというと、簡単にまとめると絵の具をどんどん垂らしたり、混ぜたり、炙ったりしてみてその偶然性を楽しもう、委ねよう的なアートです。簡単にいい感じの作品ができるやつです。その場合大抵セットで付いてくるのが、そう、インスタです。テレビで紹介されていた「ベアアート」
好きな画家と聞かれたらすぐ思いつく人です。 ネットでプールの絵を見かけて、そこでピンとしっくり来て、それ以来ホックニー氏とその絵が気に入ってます。その時感じたのは柔らかい絵を描く人だなと、それで好きになったんですが、それ以外にも繊細な水飛沫の描写であったり、写実的すぎない曖昧さであったり、時代の変化に合わせデジタルも組み込んだ作品制作など、すごいな〜と思うところばかり。以前から龍安寺が好きで、修学旅行の際も一番お気に入りのスポットだったのですが、ホックニー氏も同じくそこの枯
アートに触れていないと知らない言葉かもしれません。実際私は知らなかった気がします。 キュレートする人だからキュレーター、ということで、職業/役職名です。美術館や博物館などで作品の鑑定・研究・収集・管理をしたり、展示の企画管理をします。日本でいう学芸員とほとんど同じ?ようですが、海外のcuretorとは意味合いが異なります。海外では展示の企画管理を統括する人のみをキュレーターと呼び、日本よりも狭い門だそう。そしてフリーの人が多いとも。日本は日本で求人が少なかったり、給与面の問
ダンサー。 千葉に生まれ、幼少から創作ダンスを始めて、学生時代には様々なダンススタイルを経験し、色んなコンテストで優勝して18歳で渡米、とダンサーとして理想とも言える人生を歩んできています。実際、自分がやりたいことと近しい部分は多いですが、もう幼少からダンスをしてきた自分にはなれない。しかし、だからこそできることもあると、小春さん自身の言葉から感じます。 どんな偉大と言われる人にも等身大の悩みがあるように、小春さんも理想的な人生の中に苦悩を抱えてきたようです。そしてそれを
本来は状況を表す言葉ですが、今や歌ってみたなどと同様にジャンルとして認識されています。 元々はニコニコ動画発の界隈だと思うんですが、その頃は少しコアな領域(ニコニコ自体がそういう色があると思います)だったのが、もはや大衆に馴染んでいます。ダンスが一般化したとも言えますね。歌ってみたと同様ここ出身の方でお仕事にされている方もいらっしゃると思いますし、踊ってみたというジャンル自体はTikTokなど誰でも気軽に親しめるものになったと言えると思います。元々の敷居が高かったわけではな
言わずと知れた浮世絵画家です。名を知らずとも彼が描いた富士山や波は日本人の多くが目にしていることでしょう。 その絵はモネやゴッホなど西洋の画家にも影響を与えたことが知られています。今となっては古典芸能のような立ち位置の浮世絵も当時は最先端で、まさに日本を代表する絵画だったでしょうから、それを巧みに描いた北斎は日本最高の画家と評されておかしくないでしょう。 また、画力以外にもよく言及されるのが頻繁に変えた二つのこと。「画号」と「住居」です。画号はざっくり言えばペンネームみた
"ダンサーがピアニストになる日"と銘打たれた公演。 どういうことかと言うと、ダンサーの身体にセンサーを取り付けて動きの信号をAIに送信。そのデータを瞬時に音楽データに変換してピアノへ反映し演奏が行われるものです。ヤマハが東京藝大に技術協力をし、ダンサーの森山開次さんを招いて行われた、実験的なものですね。 実際に現場では鑑賞しておらず動画だけの感想ですが、ダンサーがピアニストになれているか、と聞かれれば首を縦には振りがたいです。確かに動きに連動してピアノはなっていますが、そ
バレエのようなピンとした可憐な陽の動きと、苦悩などの感情をむき出しにした陰の動き。 中学生から大型アイドルグループのセンターを務め続けた彼女だからこそ、彼女がナンバーワンの表現者である楽曲、MVなんだろう。 踊りが上手くなりたいとも思うけど、同時に彼女のような表現者になりたいとも強く思う。届かない羨望を重ねて、届かなくても自分の表現を、この世の無数の表現を潜り抜けて造り、作り、創りたい。 以前からの彼女への気持ちも、今に続く理由だったのかなんて、なんとなく思う。 かわ
ダンスをしたいな〜と1度は思ったことがある人はいると思います。そうしたらまず家で踊ってみようかなとなり、直面するのはスペースの問題。思うように踊れないなと悶えたり、諦めたり…と続くと思います。こう語るのは私自身が当事者だからです。とは言っても私は特に熱い思いを持ち合わせてはいなかったので、ネックにならない範囲の踊り、つまり上半身をベースに踊っていました。 状況が変わった今、現状に悩んでいるわけですが、世の中には上半身がメインのダンスがあるそうです! その名もタットダンス!
ロボット開発者である石黒浩氏と演劇界の重要人物の平田オリザ氏が共同で製作した?演劇。 単なる興味本位的な、物珍しさ的なところから発現したものかと思えば、現代に至るまでのロボットの開発論、そこに対するアプローチであるということも内容から伺えた。ロボットの可能性と共に、ロボットと共に生きるということはこういうことなんだと演劇を通して提示してもいるのだろう。北米の観客が感激したのはきっと「Detroit:Become human」に似たものがあるんだと思う。 外も中も人間に極め
以前から存じていました。シャープでアンニュイな雰囲気を纏う彼は俗に言う実力派俳優なんだろうという認識でした。しかしここに来て、自分の中の尺度が変わって未来さんのことをより知りました。俳優とダンサーの大きな両輪を駆る、とんでもない人でした。 お母様がダンススタジオを運営されていて、その影響もあってか5歳からダンスを学び始め、15歳の頃に本格的に舞台デビューしたそうです。そこからどんどんと俳優の道へ。その後は多くの人が知るところかと思います。ダンサーとしても東京オリンピックで舞わ
殴り合いなど、身体接触を主にしたパフォーマンスを行う、これまた一見ピースフルではないアートだと思います。表現が過激なものはいくらでもあると思いますが、行動が過激で犯罪にもなれるものというか。 でもこれが当人たちが完全に了承していて、本気でこれがやりたくてやってるならそれは立派な活動となり、作品となるんでしょう。そこにおける他者の価値基準や判断は一意見にしかならず、是非を決めるものにはならないと思います。 今やデジタルが当たり前の世界になり、視覚や聴覚情報なら無限と言えるほ