名前を持つこと
この世の大体のものには名前が付いています。人間も例外ではありません。
そしてほとんどの場合、名前は親から与えられます。つまり自分では決められない。そこには愛情や想い、願いが込められていることが多く、それがその人の人生に影響することもあれば、してないように見えるかも知れません。
私は誰であれ、名前の影響を受けていると思います。キラキラネームと言われるような極端に世間一般の名前から外れて苦労するといった人生だけでなく、太郎や花子のような名前の例に載るような人だけでなく。その言葉の語感、漢字、その意味、似ている言葉の意味、同じ名前の有名人などなど、色んな要素が人格形成に影響を及ぼしていると思います。無意識でも。
名は体を表すという慣用句があります。こういう類のものは例外もごまんとありますが、当てはまる対象があるから慣用的に使われています。このように、基本的には生まれてから死ぬまで付いてくる名前ですが、こんな大事なものを自分で決められないということも中々無いのではと。だからこそ親の責任は大きいですが、一方でキラキラネームと呼ばれるような名前を忌避するのも考えものではないでしょうか。多様性が重視される昨今、人の名前にケチをつけるのはいただけません。親が子を貶めようとして(そんな人はいないと信じたいですが)名前をつけたなら同情したいところですが、そうでないなら親と本人の意思を尊重し、過ごすべきではないでしょうか。黄熊/プーでもいいと思います。あだ名みたいでかわいいですし、関わる方もその人の人となりを知れば名前の違和感なんて後から消えるでしょう。実名とあだ名が違うことの意味もあると思いますが。
自分も他の名前だったらどんな人になっていたんだろうと考えます。外国ではどうなんでしょうか。リチャードやジョン、マイケルといった人たちは自分の名前から影響を受けているんでしょうか。ピカソのように親族の名前を受け継ぐ例もありますし、気になります。