政治哲学考究Ⅰ トーマス・ホッブズ『リヴァイアサン』と権利及び国家への憂い
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さて、令和7年、皇紀2685年である。
昨年は格別の御高配を賜り、厚く御礼を申し上げる次第。
本年もより一層、御国の為に精進を重ねる所存であり、皆様の温かい御賛助を賜りたく、心よりお願い申し上げる。
皇紀2685年1月 國神貴哉
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本年は新たに、「政治哲学考究」シリーズを連載してみようかと思う。
現代の政治を語る上で欠かす事のできないものは、「人権」や「自由」といった「リベラル・イデオロギー(リベラリズム)」であると言える。
本シリーズでは、此の「リベラリズム」について考えたい。
皆様御承知の通り近年のリベラリズムは暴走甚だしく、私は、我が国の永続は、過激化したラディカル・リベラリズムの克服無しには有り得ないと考える。
故にラディカル・リベラリズムを克服し、本来の意味での「自由」と「多様性」を自然に内包した在るべき大和の国へ戻る為の試論を問う事が、本シリーズの目的だ。
過去を検証し、今を検証し、「自由」を再定義し、「人権」を再定義し、「デモクラシー」を再定義し、世界を呑み込もうとする「グローバリズム」と失ってはならない「ナショナリズム」とを調整し、歪んだ外来イデオロギーの支配を脱し、固有の美しい国柄と『日本人』としての共同体を護るのである。
無論、私は若く、そして未熟である。
然し、若く未熟だからこその視点、気付く事のできる内容も有るものと信ずる。
そして、若く未熟だからという事は、我が国未曾有の危機にあって、「義勇公ニ奉」ず事無く、其の現実から逃げる事の言い訳になりはしない。
我が国の歴史と国柄、古来我が国に於いて育まれてきた民主主義の精神を表し、明治憲法制定の出発点となった五箇条の御誓文には、次のようにある。
一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
私は日本人として、「万機公論に決す(あらゆる重要な事柄を公の議論に依って決める)」べく筆を握る。
十七条の憲法にも「一に曰く、和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」に続いて「上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」とある通り、我が国に於いて「上下が心を一にして議論し、道理に適った結論を得る」というのは根本・根底の精神なのである。
私は日本人として、「上下心を一にして盛んに経綸を行う(身分に関わらず心を一つにして国家を治める)」べく、若く未熟な「下」の立場から国家論を提起する。
私は日本人として、「庶民」でありながらも、「強く美しく背骨が通り、幸せを感じ愛せる日本を再興する」という「其の志を遂げ」るべく公論を興す。
私は日本人として、近代ヨーロッパに始まる「旧来の陋習を破り」、「天地の公道に基づく」国家を取り戻すべく言葉を紡ぐ。
私は日本人として、我が国のみならず「世界」にも「智識」を求め、『天皇』を戴く我が国の基礎を「大いに」「振起」すべく学び、そして綴る。
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本稿に於いては先ず、イギリスの哲学者トーマス・ホッブズ(一五八八~一六七九)の『リヴァイアサン』を基に様々考えたい。
此の正月、私は『リヴァイアサン』を読み耽っていた。
地元の、歴史ある、然し小ぢんまりとした喫茶店に於いて、珈琲と煙草を愉しみながら言葉の海に溺れるというのは、何とも優雅で、何とも贅沢な時の過ごし方であった。
「強く美しく背骨が通り、幸せを感じ愛せる日本を再興する」という「志」に対して「夢」を挙げるならば、言論活動に依って身を立て、此の様な「贅沢で優雅な生活」を日常とする事であると言えるかも知れない。
話は逸れるが、皆様にお願いしたいのは、「禁煙」の居酒屋や喫茶店は数え切れぬ程に存在するのだから、副流煙だ健康増進だと言って今以上に喫煙可の店を潰そうとしないでほしい、という事である。
あなた方には至福を得るのに数多の選択肢があるのだから、我々から至福の選択肢を奪う必要は無いではないか。我々は違法薬物を吸っているのではなく、法に認められた嗜好品を愛煙しているのだから。
閑話休題。
トーマス・ホッブズの『リヴァイアサン』は、政治哲学の古典として知られ、人間の本性や政治、国家の在り方について論じた、未だに色褪せる事の無い名著である。
私が『リヴァイアサン』の存在を明確に意識したのは、総合安全保障シンクタンク・日本平和学研究所の機関誌『湊合』創刊号、"政治哲学論考Ⅰ 近代政治学という「神学」ーー人権神授説はいかに誕生したか" の特集に触れた際であった。
私は以前から「人権」思想の危うさを意識しており、深く学び、社会へ提起すべきと考えていたのであるが、其の思いを強くしたのも『湊合』創刊号が切っ掛けである。
私は此の仕事を「天命」であると考える。
そして、岸田文雄政権を正しく評価できるか否かが、神が私にお与え遊ばされた試験であったのだろうとも。
私は高校一年生の時分から「起立性調節障害」を経験し、全てを奪われベッドの上で呻くだけの生活を余儀無くされ、「幸せを感じて生きる」事の重要性を認識した。
そして「幸せを感じて生きる」上で「国家」の存在が重要であると気付き、更に我が国の危機的状況に気付いた。当然の帰着である。
其の危機的状況から脱却するには政治の力が不可欠であり、政治に関心を持ち、近現代史に関心を持ち、「戦後レジームからの脱却」の重要性を理解した。此れも当然の帰着であろう。
岸田文雄政権の時代に入って、私は当初こそ批判的であったものの、其の真の姿に気付き、岸田文雄政権を事実に基づいて解説するようになった。
そうしたところ、総合安全保障シンクタンク・日本平和学研究所の理事長、小川榮太郎氏に記事を高く御評価いただき、YouTube動画に於いて複数回、御紹介いただく事と相成った。
之を切っ掛けに小川榮太郎氏について調べ、『湊合』に興味を持ち、購読(日本平和学研究所・誌友会員)するに至ったのである。
そして現在に至る。
「人権」思想の危うさについては、誰かに学ぶ事を指示されたり、強制されたりしたものではない。何かに吸い寄せられるかのように、何かに導かれているかのように、自然とのめり込むようになったのである。
神の御導きに外なるまい。
ああ、稀に「神が本当に存在するならば不幸な人間は居ない筈だ」と申す者があるが、我が国に於ける神、即ち八百万の神々は決して我々に都合よく造られた存在ではなく、大自然に存する畏怖・畏敬の対象である。
我が国の神々は人々を豊かにして御護りくださるが、同時に人々を祟ったり、罰を与えたりなさる神々もいらっしゃる。
また、「八百万の神々」というのは「800万柱の神様がいらっしゃる」という意味ではなく、「数え切れない程の神様がいらっしゃる」という意味である。
さて。
『リヴァイアサン』は様々な訳が出版されているが、今回はちくま学芸文庫の、加藤節氏の訳を選んだ。
英語版原典からの完訳であり、上巻が人間論と国家論、下巻がキリスト教論を扱っているので、今回は上巻を通読した。下巻については、またの機会にゆっくりと愉しみたいと思う(手元にはある)。
購入に当たって多少調べたところ、全訳としては岩波文庫の水田洋氏訳が定番であるとの事であったが、少し解り難いとの話もあり、先ずはちくま学芸文庫版を通読する事に依って全体像を掴み、浅学菲才な脳味噌では時間は掛かるだろうが咀嚼し、其の後に岩波文庫版も読んでみようと考えたのである。
『リヴァイアサン』とは、旧約聖書の「ヨブ記」に登場する海の怪物の名であり、表記は Leviathan 、「レヴィアタン」や「レビアタン」と呼ばれる事もある。
私はゲームをフォートナイトくらいしかやらないのであるが、我が国に於いては「レヴィアタン」の読みを用いたゲームが存在したそうだ。
「背中は盾の列 封印され、固く閉ざされている」
「彼がくしゃみをすれば、両眼は曙のまばたきのように、光を放ち始める」
「筋肉は幾重にも重なり合い しっかり彼を包んでびくともしない」
「剣も槍も、矢も投げ槍も彼を突き刺すことはできない」
「この地上に、彼を支配する者はいない」
「彼はおののきを知らぬものとして造られている」
「驕り高ぶるものすべてを見下し、誇り高い獣すべての上に君臨している」
(『旧約聖書 新共同訳』日本聖書協会 「ヨブ記 41章」)
此の様な「リヴァイアサン」を書名に用いたホッブズは、序説に於いて "ラテン語の「キウィタス CIVITAS」に当たり、〔われわれの言葉では〕「政治的共同体 COMMONWEALTH」あるいは「国家 STATE」と呼ばれるかの偉大「リヴァイアサン LEVIATHAN」が創造される"(二〇二二年『リヴァイアサン 上』トマス・ホッブズ / 加藤節 訳 ちくま学芸文庫19頁)と述べている。
ホッブズが「リヴァイアサン」を用いた意図については様々な解釈が存在するが、少なくとも、主権者(臣民が同意して相互放棄した自然権を集約して行使する者乃至合議体)と臣民から成る、平和と防衛の為の統一された群衆(=国家)のメタファーとして用いている事は間違い無いだろう。
そしてホッブズは「主権」を「全身体に生命と運動とを与える人工的な魂」とし、「為政者」及び「役人」を「人工的な関節」、「賞罰」を「神経」、「成員の富と豊かさ」を「強さ」、「福祉と安全」を「任務」、「顧問官」を「記憶」、「公正と諸法律」を「理性と意志」、「和合」を「健康」、「騒乱」を「病気」、「内戦」を「死」、「協約および信約」を「神が世界を創造した際に発したあの布告、すなわち、人間を造ろうという布告」に擬えている(『リヴァイアサン 上』19~20頁)。
此の様な魂と身体を持つ「人工的な人間=リヴァイアサン」は、「自然人よりもはるかに巨大な姿をしており、力もずっと強く、自然人を保護し防衛するように意図されている」(『リヴァイアサン 上』19頁)のである。
ホッブズは「国家」を「人工的な人間」に喩え、其れを「リヴァイアサン」と呼んだのだ。
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ホッブズの『リヴァイアサン』は、政治哲学、特に社会契約論と主権論の発展に於いて非常に重要な役割を果たし、現在も様々な分野に於いて研究が為されている反面、過激な専制・独裁主義を推進しているとして批判されたり、自由や個人の権利へ制限、悲観的な人間観が批判されたりもしている。
以前は「ジョン・ロック、トーマス・ホッブズ、ジャン・ジャック・ルソー」が中学校の公民教科書に於ける啓蒙思想家の代表であったとの事であるが、現在ではホッブズが消え、「ジョン・ロック、シャルル・ド・モンテスキュー、ジャン・ジャック・ルソー」の組み合わせになっているとも聞く。
私自身、"教科書に記載が無かったのか" と問われれば昔の事であるから正確に答える自信は無いが、少なくとも、授業ノートに基づいて暗記した啓蒙思想家は「ロック、ルソー、モンテスキュー」の組み合わせであった。
此の様に表舞台からは排除されがちな「トーマス・ホッブズ」と『リヴァイアサン』であるが、私は本書を通読し、ホッブズの論を現在の国家体制や人々の意識を検証する参考とする事無く「前時代的・非近代的思想だ」と断じて葬る事は、決して我々の益にならないと断言する。
ホッブズの人間観は確かに悲観的であるが其れは同時に現実主義的であるとも言え、「自由や個人の権利の制限」についても其のバーターとなる利益は本書の中に明確であり、またホッブズの生きた時代背景も考慮する必要があるだろう。
現在の我が国に於いてはラディカル・リベラリズムの訴える「人権」「自由」ばかりが注目され、大前提としての「"国家"とは如何なる存在なのか」「"国家"が我々に与えている物は何なのか」についての認識が希薄になりつつある。
私の読解は未熟であるかも知れないが、持ち得る全力を尽くし、今此の外来イデオロギーに揺れる我が国の未来の為に、「政治哲学考究Ⅰ トーマス・ホッブズ『リヴァイアサン』と権利及び国家への憂い」を皆様に問いたい。
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ホッブズは第十三章(人類の至福と悲惨さをめぐる彼らの自然状態について)に於いて
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