ジョン•ドゥ

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最近の記事

雑感…大陸に夢はある?

1990年代から約40年弱が経過しました。その間、さまざまな出来事がありましたが、社会契約論が成立していない権威主義社会がどのように民主主義社会を蝕み共同体を崩していくのかということについては、ライブで見ることができ、改めて抑止力を持たなければ、容易に自由が失われるということを実感しています。 現在の状況では失業率は約5%程度であり、若年層に限った失業率は18%と高いそうです。今のところ不動産不況ともいうべき状態であり、過剰在庫も相まって雇用調整はあまりうまくいっていないよう

    • 仮説…何がそうさせるか?

      社会契約論に基づく民主主義社会は相互信頼に基づく高度な理性的社会であり、経済的な格差はあるにしても、お互いが尊重されなければならない人々であるという暗黙の合意(教育による社会かの結果ですが。)が成立している共同体です。 一方で、これは全く想像ですが、権威主義による社会契約論が存在しない社会では、価値観が全く異なり、人は生殺与奪を持った権威のもとで生活を送っており、当然物の見方も考え方も異なり、唯一自然科学に基づく研究などに共通の見解が見られるものの、その他は全くいわゆる「世紀

      • 原理原則をふまえる(?)

        財源という用語を丁寧に。国は通貨発行権がありますので、財源という用語は、歳入と歳出のバランスをとる意味合いであると確認し、財源がないからやらないという使い方はインフレーションの可能性を考慮しても短絡的であり、本来命を救うために本当に必要であれば通貨を発行してでもやるのであるから、財源がないという使用法を慎む。 企業団体は法人ではあっても、国民とは利益相反がある可能性をふまえる。厳密には企業団体は利益や公益を達成することが目的である集団。常に企業利益が国民と一致しているわけでは

        • 繰り返しになりますが…

          外部通報で真実相当性に欠ける文書であれば公益通報に当たらないという解釈があるようです。 そして、内部通報であれば真実相当性は必要がないという解釈のようです。(考えてみれば合理的ですが。) また、一旦7月には内部通報されたものには真実相当性がなかったものの改善が必要という内部調査結果が出ていて、一部メディアはその事実を報じている。こうした事実関係を整理すると、今回の騒動における既存メディアの敗因は、見たいものしか見ないというかつての日本軍と同じことをしてしまっているという感想を

          お気持ちの表明?

          事実、真実とお気持ちの表明がありますが、社会契約論に照らせば、まずメディアの知る権利は、国民の知る権利の行使であるという意識が大事ではないかと推察しています。何か講釈するなどといったような上から目線でのお気持ちの表明は、報道には不要であるというのが今回の勝因であり敗因でもあるのではないか?とも見ています。よって、得られた事実を捻じ曲げず、なるべく一次情報のままで、二次情報に加工するときも余計な歪みが入っていないかをチェックするプロセスを確立しなければ、信頼は取り戻せないのでは

          お気持ちの表明?

          言葉遣いについて

          皇族が身罷れた際に使う言葉に「薨去」という言葉があります。昨日報道に接し逝去という表現が使われており、違和感をもったのですが、もしかすると国民の手取りが増えないのと根が繋がっているのではないかと感じたのです。 まず第一に天皇制は国民が選択した制度です。そしてそれは国家に統治権の源泉である国民の自由を差し出させる権力を与える憲法典にそのように明確にしているわけです。また、国民統合の象徴として位置付けているわけですから、国家は主権者たる国民に対して敬意をもって言葉を選択することが

          言葉遣いについて

          少し違った視点

          「円安で生活が苦しいから利上げしろ」という意見があるようです。確かに金利差があるために円安に振れている(片方はインフレを退治するために利上げしているのに、もう片方は基礎体温を高めないと失業による死人が出たら大変なので異次元の金融緩和をしているわけですから、当然円安になります。) こんな状況で利上げをせよというのは、いわば「他人の失業は私には関係ない」と言っていることに等しいと思われるのですけどね。 政策金利を上げると取引に出ている現金は引き上げられ始めますから当然基礎体力

          少し違った視点

          既得権なるもの

          よく既得権と戦うという表現がありますが、これは一体なんであろうか?ということについて考察してみました。 例えば知事が既得権と戦う場合、その目的は、本来知事に権力を受託してくれる市民の幸福の実現と幸福の最大化を目指すということにあると解釈できます。 未だ江戸時代的な観念が残っているような自治体は多数あると思われますが、近代以降民主主義の名の下に行われる権力の行使は、すべからく市民の幸福とその最大化を目的としているというのが、合理的な見方ではないかと考えます。ゆえに既得権なるも

          既得権なるもの

          文脈を読む

          人はコミュニケーションをとりながら生きているわけですけれども、衣食住に恵まれた現在ですから問題にはなりませぬが、最近文脈を捉えられない方が増えてきているのではないかと懸念されているようです。 ホンマかいな?とも思いますが、SNSなどのリプライやヤフコメなどを見ていますと、しばしばこの人読んでないなという気がするのは間違いがないところです。 なんといいますか、最近SNSで匿名性や秘匿性を活用した人材募集で怪しからぬ仕事をさせるのが社会問題になりつつあるようですが、摘発、処罰

          戦時中の報道ってこんな感じだったのかしら?

          あるイベントに関連して、マスメディアがこれまで伝えてきたこととは全く異なる情報が出てきておりますが、今のところマスメディアによる報道はない状態であり、今後の展開が楽しみです😊 欲しがりません勝つまでは!みたいな時代にもマスメディアは存在していましたわけで、その頃から本質的にはまるで進歩していないのではないか?という気がします。 報道の自由度ランキングというものがありますが、現状を見ておりますと、私は何を見せられているのであろうか?これは茶番ではないか?と毎年感じさせられま

          戦時中の報道ってこんな感じだったのかしら?

          基本に帰ってはどうでしょうか?

          よく手段が目的化すると申しますが、そうした場合が発生するのはガバナンスが十分に効いていないということなのではないか?と感じています。 例えば、満州鉄道沿線の警備のためにいたはずの集団が、いつのまにか世界大戦へ引き摺り込むことになってしまったのは、当時の政府や軍のガバナンスがいかにガバガバなものであったかという証拠でもあろうかとも思いますが、当事者にとってはそれが彼らの価値観に照らせば正義であったことは間違いないとも言えるわけで、要するに基本的な価値観に関する教育がしっかりな

          基本に帰ってはどうでしょうか?

          先の大戦の総括はまだですケド

          成功すると、その過程で発生した失敗は有耶無耶になり、禍根を残すというのが過去の教訓ではないかと思われます。 失敗や成功の定義はそれぞれですが、少なくとも明治時代末期に旅順港に立て籠った脅威を排除するために行われたキャンペーンにおいては、その過程において看過し難い損失が出ていたのに、最後は有耶無耶になりました。 無謬性の罠というそうですが、失敗を糊塗した挙句に国土が灰燼に帰すことになったことは、当事者における現状認識がとても大切であり、客観的事実に基づいた評価こそが国を守るこ

          先の大戦の総括はまだですケド

          均衡財政には民間部門が重要なようです

          来年度には基礎的財政収支が黒字化され、このまま順調に税収が拡大すれば、遠からず財政収支そのものの均衡が実現すると思われます。 しかしながら、均衡財政下においては建設国債や短期借入金を除き、公債発行による信用創造と通貨供給がなくなるわけですから、その影響をあらかじめ想定しておく必要もありそうです。 中央銀行は長期的な成長率を1%と見積もっているようですが、均衡財政下においては、現在の税率12-13%を維持するとすれば概ね1,100兆円規模のGDPが必要になると思われ、インフ

          均衡財政には民間部門が重要なようです

          なぜ誤るのか?

          これらは全て情報が公開されないと、よく分からないということですが、政策判断における誤りを減らすには透明性の高い運営が必要であろうというのは経験的確かさがあるように思えます。 過去最大の政策判断の過ちといえば、昭和16年の対米戦止むなしであったことは、衆目の一致するところではないかと思われますが、なぜ政府と軍部はそこまで誤っているとわかっている政策判断に追い込まれたのかということについて、少し考察が足りないのではないか?と思われます。 直接的なものとしては、大陸の権益を手放

          なぜ誤るのか?

          緊縮か拡張か?貯蓄から投資へ?

          縮めるのか拡げるのか? 最近、本質的な議論が少なくなった気がしています。(今までも少なかったかもしれませんが。) 書生論的ですが2013年から取られていた政策は経済学的に合理的であったと感じています。なぜならば、供給力が需要を上回っていてデフレ状態であり、需要が少なかったのは所得が伸びなかったからであるというシンプルな見方で、金融緩和により血の巡りを良くして(通貨の発行権は国にしかない)、財政出動を呼び水に総需要を喚起して、失業率を低下させることにより、雇用を増やすという教

          緊縮か拡張か?貯蓄から投資へ?

          悪の秘密結社はなぜ勝ちに行かないのか?質か量か?

          引き続きネタ記事です。 怪人の質(強さ)を追い求めるのか、怪人の量(数)なのかという問題です。 1 自己認識   基本的に正義の味方の技術力を上回ることがない。ただし、いい線まではいける。なぜならば、技術力とは社会の柔軟性の裏返しであり、技術力が低い社会が、高い社会を上回ることがない。よって、悪の秘密結社はかなり不利な状況を強いられていることがわかっています。 2 質か量か?   本来は両方を備えた怪人を十分に備えたいところです。しかし、資源の制約を受けているためできませ

          悪の秘密結社はなぜ勝ちに行かないのか?質か量か?