お気持ちの表明?

事実、真実とお気持ちの表明がありますが、社会契約論に照らせば、まずメディアの知る権利は、国民の知る権利の行使であるという意識が大事ではないかと推察しています。何か講釈するなどといったような上から目線でのお気持ちの表明は、報道には不要であるというのが今回の勝因であり敗因でもあるのではないか?とも見ています。よって、得られた事実を捻じ曲げず、なるべく一次情報のままで、二次情報に加工するときも余計な歪みが入っていないかをチェックするプロセスを確立しなければ、信頼は取り戻せないのではないかとも感じます。オピニオンはオピニオンで明確にされればよろしいとは思いますが。
それにしても、人質司法にせよ、報道被害にせよ、当事者の建てたフレームが歪んだままではなかなか改善が難しいのではないかということは感じられ、ファクトベース、ルールベースと関係者の思考力と社会契約論に基づく国民の幸福の最大化のための国家権力を再構築しないと、懸案の改善への前途は困難なようにも思われます。
少なくとも江戸時代のような司法制度の運用は、主権者の意識の問題でもありつつ、当局の捜査能力の限界の裏返しでもあり、何とかしないと闇バイトもそうですが、治安維持に支障をきたしてしまうのではないかと感じざるを得ません。権利との衡平を図りながらも、もっと現代的な最先端の捜査ができるようにならなければ犯罪への抑止も難しいのではないかと考えてしまいます。これがお気持ちの表明ということになりますかね?

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