緊縮か拡張か?貯蓄から投資へ?
縮めるのか拡げるのか?
最近、本質的な議論が少なくなった気がしています。(今までも少なかったかもしれませんが。)
書生論的ですが2013年から取られていた政策は経済学的に合理的であったと感じています。なぜならば、供給力が需要を上回っていてデフレ状態であり、需要が少なかったのは所得が伸びなかったからであるというシンプルな見方で、金融緩和により血の巡りを良くして(通貨の発行権は国にしかない)、財政出動を呼び水に総需要を喚起して、失業率を低下させることにより、雇用を増やすという教科書に沿ったものだったと見ているからです。
その間債務は増えましたが、本質的に雇用を守ることが経済政策の役割であるというケインズ的な立場からは理論に忠実なものだったと見ています。古典派からはとんでもないということになるわけですけれども。
見方を変えますと、2013年からの経済政策に対する議論は古典派経済学における市場で全て解決するのだから余計なことをしなくてもいいという考え方と、ケインズ的な短期的には政府が介入しなければ需要が失われることによって雇用が失われるといった考え方の対立であったとも言い換えることができるのではないかと考えます。
そして現在のメインストリームは古典派経済学派であって、政府の介入を無くす方向ということでまとまっているということであり、ケインズ的な立場はとても劣勢であるという情勢です。
ケインジアンが少なくなれば、税と金利が上がることによって通貨供給量が減少し、金利が上昇し、倒産リスクのある貸出先への貸し剥がしが起き、ベンチャー企業などへ投資されるリスクマネーは減少し、新しい産業への転換は困難となり、雇用者報酬も減り需要の減少によりデフレが再燃し、経済規模が減少し税収が減り、失業率が上昇し、生きるために強盗や窃盗に従事するものが増えるなど治安の悪化、結果として財政出動に迫られ財政赤字の拡大へとつながるというのが見立てです。
では、2013年からの経済政策の出口戦略はどうなっているのか?真っ当に考えますと、ケインズ経済学的には、完全雇用が達成されるまでは赤字財政が許容されます。そして、完全雇用が達成されますと、労働力の取り合いとなり、報酬が上がり、報酬が出せない企業は市場から撤退し、供給力が調整され、インフレーションとなっていきます。なぜならば、より成長する方へ労働力が移動するからです。現に税収がここ数年過去最高を更新し続けていますが、これは経済が成長して、自動調整機能としての税が機能しているという極めて教科書に忠実な出来事が起きているともいえます。来年には一般会計における基礎的財政収支が黒字化される見込みであり、インフレを止めなければ、さらに公債の償却費用も含めた財政収支の改善も視界に入ってくる、そしてこれこそが痛みを伴わない出口戦略(失業率の上昇を伴わない公債残高の削減)ということになるのではないでしょうか?
ただし政府債務が減少するということは、民間の債務が置き換えに膨らまない限り、資産の減少になりますので、産業構造を余程うまく転換していかないと、国民の金融資産は減ることになります。貯蓄から投資へと奨励されていますが、どう考えても古典派経済学的な考え方の方々の目論見は緊縮で貧しくしてしまおうと無意識的に狙っているのではないか?そのような気もしています。