基本に帰ってはどうでしょうか?
よく手段が目的化すると申しますが、そうした場合が発生するのはガバナンスが十分に効いていないということなのではないか?と感じています。
例えば、満州鉄道沿線の警備のためにいたはずの集団が、いつのまにか世界大戦へ引き摺り込むことになってしまったのは、当時の政府や軍のガバナンスがいかにガバガバなものであったかという証拠でもあろうかとも思いますが、当事者にとってはそれが彼らの価値観に照らせば正義であったことは間違いないとも言えるわけで、要するに基本的な価値観に関する教育がしっかりなされないとこうしたことは十分に起こりうる教訓だと思われます。
最近あることをすると、税収が減るという話題がありましたが、担当する方がどのような意図でこの情報を出したのかということが興味深いところです。
例えば、そのことを潰すという意図であるならば、それを潰す正義はどこにあるのであろうか?ということです。国家としての正義か?とは考えてみましたが、国家の役割は国民福祉の最大化が目的であるので、潰すというのは国家による主権者に対する背信行為ともとられかねない不誠実な行いではないか?という合理的な疑いをかけるに十分であると思われます。
一方で、さらなる議論の材料として提供されているのであれば、それは当然良いことであると思われ、個人的には後者の狙いでこの予測を世に出されたと信じたいと感じています。
いずれにしましても、民主主義体制における公の立場は、社会契約論がベースとなっておるという考え方であると認識していますので、なんの政策であれ価値判断の際には、組織の利益などではなく、国家を信頼して権利を信託している方々の利益を最も重視していただくのが基本なのではないか?と考えます。