先の大戦の総括はまだですケド
成功すると、その過程で発生した失敗は有耶無耶になり、禍根を残すというのが過去の教訓ではないかと思われます。
失敗や成功の定義はそれぞれですが、少なくとも明治時代末期に旅順港に立て籠った脅威を排除するために行われたキャンペーンにおいては、その過程において看過し難い損失が出ていたのに、最後は有耶無耶になりました。
無謬性の罠というそうですが、失敗を糊塗した挙句に国土が灰燼に帰すことになったことは、当事者における現状認識がとても大切であり、客観的事実に基づいた評価こそが国を守ることにつながるという感を持ちます。
現在も黒海付近で長期間キャンペーンが行われていますが、無謬性の罠という観点で見たとき、もしかするとなんらかの示唆が得られるのではないかという気がします。
一方、先の大戦に至る経緯を見ると、国民と事実を繋ぐマスメディアが情報の非対称性によって、後から見るとなぜこのような報道をしたのかと疑問を持つような報道をしていますが、ある程度情報が整理された後になっても検証されたとは思えず、もしできていたら日比谷焼打事件は発生しなかったのではないかという気もしており、客観的事実を知ることこそが知る権利なのであって、プロパガンダを流布することではないというのが歴史の教訓ではないかと感じます。
また、組織が健全に運営されていることは当然期待するものですが、果たして確かに健全に行われているのかについては、今のところ情報の開示が適切になされているかすらも明らかではないことからすると、もう少し進化することが求められているのではないかという気がします。