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2020年2月の記事一覧
佐藤先生に教わったこと-#18
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
先生は、タレント広告が苦手というか、あまり好んでいなかったそうです。
80年代から90年代、記号的なタレント+海外ロケの広告がたくさんあったこともそうでしょうし、先生自身がタレント広告の方法論を見出せていなかったということもあったみたいです。
佐藤先生に教わったこと-#17
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
【考察】背中をみる効用
佐藤先生に限らずですが、師匠となる人と一緒に仕事をする効用は、判断の場に立ち会えることだな、とピタゴラの現場で感じておりました。過去に話題にあげたYCAMもしかり。先生は、教室の外を飛び出した「プロジェクト」の現場では
佐藤先生に教わったこと-#16
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
【ミッションオリエンテッドとキュリオシティドリブン】
佐藤先生はよくこの2つの言葉で表現の動機を分けていました。
「ミッションオリエンテッド」は、広告の仕事はまさに典型で、そこにはスポンサーの宣伝部から代理店の営業までしっかりいて、予算もス
佐藤先生に教わったこと-#15
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
『イメージの読み書き』というプロジェクトで、僕がなかなか先生OKが出る作品を作れず、頭を抱えていたある日。
研究室助手の村上さんが、このプロジェクトのキモは「THE」のつくイメージを発見することです、とアドバイスをくださった。
それをはたで聞い
佐藤先生に教わったこと-#14
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
ビジネスの考え方についても、佐藤先生からたくさん教わりました。
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「配荷率」と「パーフェクTV」
「湖池屋の仕事をしていたとき、僕は配荷率にコミットしていたんです。」
「もうその当時は、ポテトチップスは圧倒的にカルビーの一人勝ち。それを覆
佐藤先生に教わったこと-#13
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
卒業制作「日常にひそむ数理曲線」をつくっているときの話です。
方向性がぼんやり見えて、研究室で先生と仮説出し、アイデア出しをしていたとき、
「パチンコのこの球たちの軌道はここもここもここも全て放物線になっているのではないでしょうか。」とスケッチ
佐藤先生に教わったこと-#12
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
昨夜湘南台のコワーキングスペースにて、「プレゼン図書」と題し、『広告批評-佐藤雅彦研究室特集-』などを通して、佐藤研とはなんだったかをお話しする会をしました。
そこで高橋さんとお話ししたキーワードの1つが【生まれた瞬間】。
佐藤研では、とい
佐藤先生に教わったこと-#11
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
これもYCAMワークショップのときの話です。
僕らsaltは、ワークショップの資材を金曜に研究室から山口に発送し、土曜のお昼には現地で受け取り、翌日日曜に控えた本番の準備をする手はずでした。
ですが、土曜の昼になっても荷物が届きません。
確認す
佐藤先生に教わったこと-#10
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
gggでの展示を控えた春。
山口情報芸術センター、通称YCAMでのこと。
YCAMのエデュケーター合田大也さんに依頼を受けて、佐藤研saltは「時間の積層」というワークショップを行いに行きました。
そこでは、YCAMのとなりのNHK山口支局の
佐藤先生に教わったこと-#09
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
3年の春学期。
夏に控えているgggでの佐藤雅彦研究室展に向けて、準備をするある夜のこと。
当時、もう1つ所属していた建築の坂研での部材製作が終わったその足で、少し離れた佐藤研の研究室に戻った。
gggの1/20模型の製作が残っていた。明日の朝
佐藤先生に教わったこと-#08
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
【市井の言葉。道端の声。】
湖池屋ドンタコスのCMプランを練っていた年末の夜。
先生は同僚と、当時の電通オフィスの近くにあったイタリアン「シシリア」に少し遅めの晩御飯を食べに行った。シシリアは地下にある。食べ終わり地上にあがると、ちょうどその
佐藤先生に教わったこと-#07
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
表現方法論Ⅰ・ルールの授業にて。
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「ある時期僕は、「オリエン返しの佐藤」なんて呼ばれていたくらい、クライアントのオリエンをそのまま返しておりました。
どういうことかと言いますと、象徴的な事例を1つお話したいと思います。
それは、JR東日本の
佐藤先生に教わったこと-#06
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
佐藤研の「入研試験」を経て、12名の同期がSFCのε11教室に集まります。みな緊張した面持ち。今でもあのときの空気をありありと思い出します。
先生が入ってきて、話し始めます。
「佐藤雅彦です。」
佐藤研とはなにか、何を目指すのかの簡潔で完結した
佐藤先生に教わったこと-#05
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
佐藤先生は、研究室の他にも、「表現方法論Ⅰ(ルール)」「表現方法論Ⅱ(トーン)」という授業を持っていました。
大講義室が満員になる人気授業。
「ルール」の授業は、主にCMプランナー時代の仕事を中心に事例にしつつ、「作り方を作る」という表現領域以