佐藤先生に教わったこと-#16
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
【ミッションオリエンテッドとキュリオシティドリブン】
佐藤先生はよくこの2つの言葉で表現の動機を分けていました。
「ミッションオリエンテッド」は、広告の仕事はまさに典型で、そこにはスポンサーの宣伝部から代理店の営業までしっかりいて、予算もスケジュールも管理されているし、商品も媒体も決まっている。
「キュリオシティドリブン」は、自分がそれをみたくてつくるから、なんにも決まっていない。「I.Q」はまさにこれで、ただただ、いきなり絵のイメージが浮かんで、これをゲームにしたいと思った。絵が勝手に出てきて、その勢いで、ソニー・コンピュータ・エンタテインメントに持って行った、と。
(ちなみに、アポもとらず、受付で、「ゲームの企画を持ってきたんですけど」といって受付の人も困ってもめた雰囲気になっていたら、そこに通りがかった当時の副社長だったかが、どうした?と話しかけて(その時点では立場を名乗らず)「僕でよかったら話を聞くけど」と、会議室に通されたそうです。そこから「I.Q」をどうつくっていったかは、またの機会に。ゲームづくりの話、めちゃくちゃ面白いです。と思いましたが、調べましたらちょうどそのことに関する先生の記事を発見しましたのでリンクをつけておきます)
https://www.jp.playstation.com/blog/detail/7897/20181130-psclassic-iq.html
「キュリオシティドリブンのほうが純粋だからうまくいくとも、ミッションオリエンテッドが予算がたっぷりあるからうまくいくとも、実は、どちらも必ずしもいえません。」
「ミッションのほうは、絶対的な技術がいるんです。」
「僕がなぜ自分なりの方法論をつくってきたかと言うと、いろんなところからくるクセのある球を打っていかなきゃならないからですね。」
「イチローみたいに、高打率、それでも3割5分くらいですよ、それでも、とにかく打って打って、打たなきゃ商品が死んでしまうわけですから、バントでもなんでも塁に出るための技術が必要だったんですね。もう必死です。それこそオマケでもPOPでも必死です。」
「例えば、テレビCMは音が重要だと思っているので、音の作り方のパターンっていくつあるのかと、端から端までいったん自分で探すんです。歌ものから、ジングルから、サウンドロゴまで、それを1つの軸にして。もう1つの軸に、たとえば、映像で一番重要なトーン、ドキュメンタリーとかセットとか書き出していくんです。そうして表・マトリックスをつくって、あ、このブロックはまだやっていない、と。」
「新しいものをみつけると、そのマトリックスの行が1つ増えるからワクワクするわけです。ある種の義務感みたいなものがありました。たとえば、サウンドロゴの発見は大きかった。その当時は古い手法でしたけど、みんな忘れていたんです。その一発目が「バザールでござーる」でその行が生まれることで、また新たな地平が開ける。」
「そういう鉱脈発見がときどきボコボコみつかって、でも、その限界までいく手前で、その外側に「I.Q」のようなミッションじゃないものを見つけてしまう。そうすると動き方がまったく変わってくるんです。」
「ミッションの場合でも、キュリオシティドリブンのような、それをどうしても作りたいという状態を生まなきゃダメだな、とも思っていましたから、そういう動き方も発生してくるわけです。」
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そうして、研究室で生む表現はキュリオシティドリブンでやりたいと、1年に1回くらい訓示のように言っていました。
特にピタゴラのようなミッション寄りのプロジェクトで動いていた、僕らsaltの世代には。
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