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昭和であった17 〜ご馳走様!夕食編 1 〜
さて、いよいよ昭和の時代の我が家のメインディッシュの話…
夕食のシェフはもちろん母である。
母のことをもう少し詳しく説明しておこう。
商家の長女として蝶よ花よと家事一切を手伝うこともなく甘やかされて我儘放題に育ち、母親(私の祖母)は店を守るに忙しく、父親は放蕩の挙句母が子供の内に早逝。
その為父と結婚した時には米を炊く方法も知らなかった…
戦災で実家の店は消失し、肝心の後ろ盾も失ってしまう。
ま
映画妄想日記 アラン・ドロンのこととか、闘牛士のこととか、私が映画を見るようになった最初の頃のこととか
子供の頃、闘牛士が好きだった。多分、テレビで闘牛のドキュメンタリーを見たのがきっかけで興味を持ったのだと思う。闘牛の本場がスペインで、メキシコでもやっていることを知って、あのメキシコ・オリンピックのあったメキシコかあ、なんて妙な感心の仕方をしていた。
闘牛士の派手な衣装も不思議だった。ピッチピチすぎて、自分一人では着られないのだ。左右二人の助けを借りて、やっと着込んでいる映像が強烈に記憶に残って
昭和であった14 〜昭和30年代、子供飲料事情!〜
先日聞いた話だが、最近の日本の子供は『水』を好まないらしい。
何故なら何の味もしないから…
どうせペットボトルの水を買うのだったら、スポーツドリンクやジュースなどを選んでしまうという風潮が長く続いたからなのだろうか。
飲料水にお金を払う…実は私にはあまり馴染まない…
今ではもう中年世代となっている年下の世代のアーティストやクリエーターたちとの付き合いも多いが、彼らですら圧倒的に水道水を飲まない世代
昭和であった6 〜テレビ普及期の番組たち
昭和34年…
その年の4月に皇太子殿下のご成婚があり、その式典の中継の全国放送を機にテレビの普及が全国に広まり始める。
とは言っても昭和34年のテレビ普及率はまだ20%台。
ただし、日々右肩上がりの経済成長に伴い消費者の月賦分割払いが広がり、家電製品はどんどん売れ行きを伸ばし、それに即して価格的にも手に入り易いものになっていく。
翌年からはテレビのカラー放送が徐々に始まり、5年後の東京オリンピック