昭和であった6 〜テレビ普及期の番組たち
昭和34年…
その年の4月に皇太子殿下のご成婚があり、その式典の中継の全国放送を機にテレビの普及が全国に広まり始める。
とは言っても昭和34年のテレビ普及率はまだ20%台。
ただし、日々右肩上がりの経済成長に伴い消費者の月賦分割払いが広がり、家電製品はどんどん売れ行きを伸ばし、それに即して価格的にも手に入り易いものになっていく。
翌年からはテレビのカラー放送が徐々に始まり、5年後の東京オリンピック開催に向けて、テレビの普及は急ピッチに進んでゆくこととなる。
それに合わせ、各局の番組放送は各時間帯に広がり、そのバリエーションも目に見えて一段と豊富になった。
私の環境は東京・品川の社宅アパートへ…一家4人の核家族生活となる。
地元の小学校に通い始め、コミュニティーもどんどん広がり始めた。
この時期テレビは私にとって最も重要な情報の中心。
少年時代の自我形成の糧と言ってもいいだろう。
新築の社宅には屋上に共同のテレビアンテナが立ち、各世帯にはアンテナ配線が配備され、室内アンテナを駆使ながら放送波を探る必要もなくなる。
ようやくテレビは日常になってきた訳だ。
では早速当時の私の記憶を辿ってみよう…
[ 物凄い量になってしまったので、適時拾い読みしてください…]
『鉄腕アトム』(放送・昭和34年〜)
日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』(昭和38年〜)ではない。
それを遡ること4年前… 実写版のアトムだ。
主題歌も全然違う。
『僕は無敵だ 鉄腕アトム 良い子のために戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い悪者やって来い ジェット推進 十万馬力 僕は鉄腕アトム 7つの威力を持っている♪』
ファミリー層の視聴に力を入れたフジテレビ開局時の子供番組。
実写なので主役のアトムは普通に子役。
衣装でロボット風に仕立ててあるが、いくら長閑な時代とはいっても流石に肉じゅばんとヘルメットを装着した子供にしか見えない。
当時ストーリー漫画の最先端を走っていた手塚治虫の『鉄腕アトム』の世界観とはあまりにもかけ離れていた。
それでもアトムをテレビで観ることが出来るだけで結構楽しみに興奮していたのを覚えている。
しかもこの番組には同じ社宅に住む歳上のお姉さんユミちゃんが出演した。
当時彼女は劇団の子役で、『気体人間の巻』に出演したのだ!
いつも仲良くしてくれている近所のお姉さんが鉄腕アトムに出演するなんて… 大事件だった。
そしてこの話にはさらなる続きがあって、私にとっては忘れようにも忘れられない素晴らしい思い出を作ってくれることになるのだ。
『少年ジェット』(放送・昭和34年〜)
アトム実写版の直後から始まったやはり漫画原作の少年探偵シリーズ。
フジテレビ開局の目玉番組となった。
スーパーマンや月光仮面と違って主人公は少年(設定では)である。
テレビ受像機の普及期と相まって、瞬く間に日本の少年たちの憧れのヒーローとなった大人気番組だ。
さて先ほどの近所に住むユミお姉さんの話の続きだ…
週末のある日、私は社宅アパートの敷地内でベーゴマの練習をしていた。
そこにコンパクトな自家用車が乗り入れて来た。
運転していた人物が車を降りて近づいてくる。
私の近くで足を止め、声をかけた。
「君、このアパートの子?」
「はい…あっ…」
私がベーゴマの練習の手を止め、見上げると…
そこに立っていたのは… コスチュームこそ身に付けていないものの、あのテレビに登場する少年ジェットその人ではないかっ!
私は開いた口が塞がらず、呆然とするばかり…
「このアパートの田中さんってお宅、何処か分かる?」
「あ、は、はい…あの、向こうから2番目の階段を… あの、一緒に行きます」
田中さんとはユミちゃんの家だ。
「そお?悪いね」
少年ジェットが私に微笑みかけている… 信じられない…
私は少年ジェットを案内する…
「こっちです…」少年ジェットが私についてくる…
少し離れた階段を3階まで昇り、私はユミちゃん家のブザーを鳴らした。
「あら、クニちゃん、こんにちは。何かご用?」ユミちゃんのお母さんがドアを開けて尋ねる。
「あの…お客さんを連れて来ました…」
母親は私の後ろに立つ少年ジェットに気がついて、表情を笑顔に変えた。
「あら中島さん、そろそろいらっしゃる頃かと思ってましたわあ。分かりずらかったかしら?」
「どうも…いやあ、伺ってたお宅の番号を忘れちゃって、この子に案内して貰ったんですよ」
「まあクニちゃん、どうもありがとうねえ。ささ… どうぞどうぞ」
と、少年ジェットはドアの向こうに消えていった。
『少年ジェットだ… 少年ジェットは中島さんっていうんだ…』
私は興奮冷めやらぬまま、アパートの裏庭の社宅子供達の溜り場所に飛んで行った。
そこにはいつものように歳上年下の子供達数人が遊んでいた。
「ねえねえ、大変だよ!今、ユミちゃん家に少年ジェットが来たよ!」
「ははは…まさかあ… 少年ジェットがこんなとこに来るわけないじゃん」
「本当だってば!田中さん家はどこですかって… 僕、案内したんだもん」
「でも、少年ジェットじゃないんじゃない?」
「そうだよ、クニちゃん見間違いじゃないの?似てる人とかさ…」
「いや、絶対に少年ジェットだよ!声もおんなじだったし、はっきり見たもん」
「ユミちゃんは劇団だからさ、誰か格好いいお兄さんとかが来たんじゃないの?クニちゃんきっと見間違えたんだよ」
なかなか皆は信じてくれない…
それはそうだ… こんな日常の中に突然テレビのヒーローがやって来る筈がない…
暫くはすったもんだ口論を交わしていたが、やがてその中で一番歳上のタカシくんが提案した。
「じゃあさ、クニちゃん、これから一緒に行って確かめて来ようぜ」
「ええっ?でも…いいのかなあ…お客さんで来てたんだし…」
「大丈夫だよ。おばさんに確かめるだけだしさ…」
確か有志3、4人だったと思う…
タカシくんに促され、私は再び田中家のドアの前に立ち、意を決してブザーを鳴らした。
再び母親がドアから顔を出した。
「あらら、クニちゃん、タカシくんたちも、どうしたの?」
「あの… あのお… 少年ジェットさんは、いますか?」
「あら、クニちゃん気が付いてたのね。ふふ…きっと普通の格好してたから気が付かなかったんだわって思ってたけど… じゃあ、ちょっとおばさんが訊いて来てあげるわね」
ユミちゃんの母親はそう言って、我々を玄関に残し一旦奥に消える。
暫くすると少年ジェットが再び玄関口に笑顔で現れた。
「やあ、君、さっきは有難う。お友達も連れて来たんだね。僕はちょっと由美子さんやお母様とお話があるから、みんなも一度お家に帰って、お昼ご飯を食べて、そうだなあ… 1時過ぎたらさっきの車のとこに行くから。その時にまた会うんでいいかな?」
「あ、はい。分かりました。じゃあ、またあとで…」
隣に立っていたタカシくんに同意を求めようと目配せをしたが、タカシくんは言葉を失い完全に固まっていた…
その日の午後、少年ジェットは約束通り外で社宅の子供達皆んなと1時間以上に渡って遊んでくれた。
少年ジェットは少年ではなく、もう大人だった。
もちろん白いマフラーもしていなかった。
スクーターでなく自家用車に乗っていた。
愛犬シェーンも連れていなかった。
だが、とても優しく格好いいお兄さんで、私にとっても、社宅の子供達にとっても格別な存在となった。
『まぼろし探偵』(放送・昭和34年〜)
ヒーローもの続発のフジテレビに対抗してKRTテレビ(現・TBS)が同時期に放送した人気漫画のドラマ版。
こちらの主人公も少年で、少年新聞記者(未成年が新聞記者になれるのかはさておき…)。
父親が警視庁勤めで、常に事件の近くにいる、という設定。
活躍するときは仮面を被り、まぼろし号という空・陸両用の小型ジェット機のようなもので登場する。
白ではなく黄色いマフラーをなびかせている(白黒放送なのだが、主題歌がそう歌っている)。
電波ピストルなる二丁拳銃で悪に立ち向かう…
要するに、少年ジェットと月光仮面を足して2で割ったようなヒーローなのだ。
このシリーズには美少女ヒロインがレギュラーで登場し、その存在感に私は毎回心を惹かれた。
そのヒロイン役こそ、映画デビュー直前の吉永小百合だった。
『珍犬ハックル』(放送・昭和34年〜)
日本に紹介されたハンナ・バーバラ アニメーションの第1号だと思う。
おっとり、のんびりしたハウンド犬ハックルベリー…
周囲に巻き起こる様々な出来事や危険… それには全く動じず、ひたすらマイペースでいつも決して上手ではない『愛しのクレメンタイン』を歌っている。
それに反して周囲はどんどん事件に巻き込まれ、ドタバタがドタバタを呼ぶ。
そしてやがて、ことは治まり、ハックルは何事も無かったかのように飄々と歌を口ずさむのだ。
古典的な狂言回しといえばそうなのだが、アニメの主人公なのにキャラクターがアクティブでないのが私はとても気に入っていた。
よく考えたら、ハンナ・バーバラ アニメはその後の『早打ちマック』や『クマゴロー(Yogi-Bear)』『宇宙家族ジェットソン』『原始家族(ヤバダバドゥー)』『チキチキマシン』など… その設定やキャラクターのちょっと外し感がとてもいいのだ…と感じる。
『ポパイ』(放送・昭和34年〜)
これも同時期の輸入アニメ番組。
当初はKRTテレビ(現・TBS)で放送され、後各局でも新作が放送されることとなる。
主人公ポパイは船乗りの小男で度胸が良く正義感が強い。
敵役で大男の捻くれ者ブルート(ブルータス)、痩せギスの美女(?)オリーブはポパイの恋人だがプルートとの三角関係に振り回されるヒロイン。
ハンバーガー好きの脇役ウィンピー、捨て子でポパイの養子のスウィーピー、犬だかなんだか…不思議な超能力を持った動物ジープ…登場人物が全て魅力的で、私にとって数ある輸入アニメの中では全てが頭抜けてポップだった。
かなり暴力的なストーリー内容だったので、世の母親たちからはあまり評判は良くなかったが、主人公ポパイがほうれん草の缶詰を食べると力が倍増する設定には野菜嫌いの子供に効果があると評価していた。
視聴者である我々の世代は既に2代目。
1930年代から短編アニメ映画が制作されていたというので、親の代にも馴染みがあった。
ちなみにこの作品の重要人物『ポパイ』『オリーブ』『ブルータス』の名前は今でも雑誌名として世に残っている。
『ローハイド』(放送・昭和34年〜)
輸入もののテレビドラマとしては初の1時間枠。
映画のように見応えがあった。
放送はNET(日本教育テレビ 現・テレビ朝日)ネット。
昭和32年に学校放送や放送大学などの教育放送局として予備放送の認可を取得したNETがこの年本放送局として認可され一般番組を放送し始めた。
その初号ヒット番組でその後6年間の長寿番組となる。
ローハイドとは乗馬用チャップス(革製のズボンカバー)のこと。
数千頭の牛をテキサスからミズーリまで運ぶ牛追いたちのチームの長い道中の物語。
様々な出来事や事件を乗り越える彼らの姿を毎回読み切りでストーリー構成されている。
主役は隊長のフェイバー。
脇というより準主役と言えるのが初老の料理人ウィッシュボンと隊長の若き補佐役ロディ。
ロディ役は、かのクリント・イーストウッド。
それまでずっと端役しか与えられなかったイーストウッドはこの番組の準主役への抜擢で一躍人気俳優となり、その後の活躍は周知の通り。
もちろん日本でもロディ人気は高く、我々子供達も「それはないぜ、フェイバーさん」は日常の決め台詞であった。
また、フランキー・レインによる主題歌『ローレン、ローレン、ローレン…♪』のフレーズも世界的大ヒットとなった。
ローレンとはRoll’en、つまり「動かせ!」「移動させろ!」の牛追いたちの掛け声。
『番頭はんと丁稚どん』(放送・昭和34年〜)
関西地区で開局したばかりの毎日放送が放送した舞台人情喜劇。
船場の薬問屋に奉公する3人の丁稚(大村崑、茶川一郎、芦屋小雁)と小番頭(芦屋雁之助)、さらにそれを取り巻く人々が引き起こす様々な出来事を毎回コミカルに描き出す。
脚本はかの花登筺の書き下ろしで、関西では放送されるや60%超えの視聴率を叩き出す怪物番組となった。
我々東京の子供達も上方喜劇のはちゃめちゃでナンセンスな面白さに抱腹絶倒した。
教育ママたちは「くだらない…」と、顔を顰めていたが…
特に大村崑が演じた頭に円形のハゲのある少し頭のトロいみそっかす丁稚のキャラクターは秀逸で、全国の子供たちを虜にした。
「こんま〜つ、ちょっとこーい」と声を掛けられると、なぜか頭のハゲが呼び声に反応してしまうというギャグは大流行した。
当初のタイトルは『小番頭はんと丁稚どん』だったと記憶しているが、私の記憶違いかもしれない。
『兼高かおる 世界の旅』(放送・昭和34年〜)
この年の暮れからKRTテレビ(現・TBS)で日曜日の朝に始まった30分の紀行番組。
美人ジャーナリストでありツーリストライターでもある兼高かおるがリポーター、ディレクター、プロデューサーとして世界各国への取材旅行を繰り広げる。
取材先は世界各地の都市、有名観光地はもとより、極寒や熱帯、高山や砂漠、開発途上国など僻地取材も多々あった。
放送が日曜日の朝ということもあり、我が家では家族4人が揃って観る番組だった。
番組の進行は取材フィルムを見ながら聞き役でアナウンサーの芥川隆行と説明役の兼高かおるがトーク形式で進められてゆく。
番組協賛は当時世界で最も広域の国際線を有していたパンアメリカン航空。
この時代、日本人にとって海外旅行自体がまだ夢の夢で、女性が海外を取材して回ること自体がとても先進的だった。
しかも兼高かおるは資産家の子女で海外留学の経験もあり、その育ちの良さは取材映像からも説明するお喋りからも画面から溢れ出てくる。
そのキャラクターががさつ代表のおじさんキャラ芥川隆行氏とのコントラストで番組進行に軽妙さが生まれるのだ。
番組は30年もの超長寿番組となり取材国数は150カ国にも及んだ。
もちろん私もその1人だが、この番組を観て海外に憧れた子供がどの位いただろうか?
子供だけではない…その後経済成長著しい日本で一大海外旅行ブームが訪れたのも、この番組の下地があってのことではないだろうか。
『サンセット77』(放送・昭和35年〜)
ロサンゼルス、サンセット大通り77番地にある私立探偵事務所が舞台。
この事務所のスチュアートとジェフという2人の探偵が毎回事件を解決してゆく。
格好いいオープンカーを乗り回し、金髪の美女との浮いた話も必ず絡んでくる大人のお洒落な輸入ドラマだ。
製作はワーナー・ブラザース・テレビジョンで日本の放送はKRTテレビ(現・TBS)、日曜夜8時から。
2枚目主人公、美女との軽い恋愛、サスペンスとアクション…
これはアメリカンアクションドラマ、いや当時(あるいは今でも)の世のアクションドラマの定番だろう。
小学校2年生の私はそれに見事にやられてしまった。
物凄く憧れた!
将来はアメリカに行って、私立探偵のライセンスを取得して… などと本気で考えた。
海外への憧れはますます高まっていったのだ。
登場人物の中で私が特に好きだったのは、ガレージの配車係として潜り込んできた若い助手、というかアルバイト。
ジェラルド・クークスン3世、通称クーキー。
いつも胸ポケットから櫛を取り出し、ヘアスタイルばかり気にしている、当時のチャラチャラした現代っ子だ。
彼が、毎回思わぬところでちょっと役に立ったり、時には大手柄だったりすることもあり、大いに人気を集める。
多分これは逆だったと思う。
当初は脇役だったが人気が高まるにつれ、ストーリーへの重要性を与えられたという経緯のような気がする。
後々のシーズンで彼は探偵ライセンスを見事に取得、オフィスのスタッフに加わることとなって、私はとても嬉しかった。
後に放送される『サーフサイド6』や『ハワイアンアイ』はこの番組と同じワーナーの姉妹番組である。
『ちびっこギャング』(放送・昭和35年〜)
アメリカの子供向け短編コメディーフィルム『Our Gang』。
アメリカでの製作は1922年からというから、日本では大正末期。
もちろんまだ無声映画時代である。
トーキーとなったのは1929年、昭和初期からのこと。
登場する子役たちは私の父親の世代かそれ以上ということになる。
この短編映画シリーズを集めてNET(現・テレビ朝日)が『ちびっこギャング』として30分番組にし、大人気を博した。
ギャングとは言っても決して悪ガキグループの話ではない。
街近郊の住宅街の子供コミュニティーの話である。
今考えると、とても不思議なのはこの子供のコミュニティーには白人も黒人も対等に混在しており、差別的な逸話も一切見られない。
そういう意味では物凄く先進的な作品であったのだろう。
主役とななる重要人物は自意識過剰でかなり変わり者のアルファルファとちょっとずる賢いが人の良さ丸出しのスパンキー。
毎回のドタバタ騒動の在り方がちょっと心を温かくしたりする。
よく覚えている逸話は、近所に住む貧しい1人暮らしの優しいおばあちゃん。
いつもギャングたちを可愛がってくれる。
大恐慌で紙屑となってしまった大量の株式証券を凧の重りとして子供達に提供する…
ところがその証券の株価は跳ね上がっていたのだ。
それを知ったずる賢い親不孝の息子がそれをなんとか騙し取ろうとする… という騒動。
もちろんギャングたちが大活躍して、お婆さんは目出度く大金を手に入れる…という結末。
当時でも明らかに古いフィルムなのに、ストーリーがとてもよく出来ていたように思う。
『ナショナルキッド』(放送・昭和35年〜)
東映が対東宝を意識してか、テレビ時代への子供向け作品として力作したSF特撮番組。
タイトルの通り松下電器のSP色丸出しのヒーローものである。
この年の夏休みから新局NET(現・テレビ朝日)で放送が始まった。
明らかに少年たちの『科学』への興味をコンセプトとしており、設定や逸話はいちいち理屈っぽかったという記憶がある。
主人公ナショナルキッド… アンドロメダ星雲からやってきた遊星人だが、その理由は分からない(というか覚えていない)。
普段は青年宇宙科学者として研究所の所長をしているが、その人物とナショナルキッドが同一人物であることは物語では示唆されるだけで『多分そうじゃないのかなあ…』的な脚本である。
確か最終回で『やっぱりね〜』と、どんでん返しはなかった。
仮面衣装でマントを翻し、空を飛び、特殊な光線銃を武器に地球人たちを守る。
弱点は放射線。
宇宙研究所に出入りする少年探偵チームと特殊なラジオで繋がっており、事件を知らせるのは探偵チームの役割だ。
敵役は宇宙人たちであったり海底人たちであったり…いずれも核開発を進める地球人を宇宙平和の為に絶滅させようとするというのも被爆国日本の当時の世論を称してのことだ。
『スーパーマン』『スーパージャイアンツ』『少年探偵団』… いろんな美味しい要素がミックスされている。
私的にはなかなか良く出来ていたという印象が残っている。
『フィリックス・ザ・キャット』(放送・昭和35年〜)
短時間のベルトでNHKが放送した輸入アニメ番組。
新しい放送形式だった様に思う。
確か毎日番組と番組の合間に1話ずつ10分だけ放送されるというミニ番組形式。
毎日のことなので、習慣的に観られて嬉しかった。
私は犬も猫も大好きだが、当時は猫のキャラクターは少なかった。
ガーフィールドやキティちゃんが登場するのはずっと後のことで、猫はいても悪役や敵役ばかり。
なので、猫が主人公のアニメというだけでかなり惹かれたのだ。
ストーリーは火星人やテレビ人間、四次元カプセルでワープしたり、敵役が天才科学者だったり、SF的背景がかなり強い。
フィリックスが常に持ち歩いている『不思議な黄色いカバン』は飛行機になったり潜水艦になったり、フィリックスの意思で自在に形を変える万能の道具であり、中からも窮地に必要なものが何でも出てくる。
かのドラえもんの四次元ポケットに極似している。
私は毎日観ていたら、その世界観にどんどんハマっていった。
ちなみにこのフィリックスは私の父親も知っていて、子供時代に映画館で観たと言っていたので、ディズニーのミッキーマウスやベティー・ブープ同様、元々相当に古いアニメキャラクターらしい。
『鉄人28号』(放送・昭和35年〜)
当時『鉄腕アトム』と並んでストーリー漫画の双璧と呼ばれた横山光輝の『鉄人28号』のテレビ実写ドラマ化。
原作では太平洋戦争中の旧日本軍が開発を進めていたロボット兵器…その開発科学者が戦後南の島で密かに最新型28号を完成させていた、という設定。
開発者の息子である主人公の少年探偵金田正太郎がコントローラーを駆使して鉄人28号を操り、地球平和の為に悪と戦うというストーリー。
実写版『鉄腕アトム』は普通の子役が演じたのでちょっと無理を感じたが、この実写版『鉄人28号』はどんな特撮で実写にするのだろうと放送までドキドキしたが、実際の放送を観て度肝を抜かれた!
巨大な筈の鉄人が普通の大人よりちょっと大きいだけで、しかも無理に大きくしているのが見え見えで、腕がやけに下の方から生えている。
第一、肝心の鉄人のフォルムがバランスが悪いので格好良くない…
それでも何とか騙されたフリをして、『これは鉄人28号なんだ…』と自分に言い聞かせて、大好きな原作を実写で、動画で観られる喜びに浸ろうと努力した。
人間やろうと思えば何でも出来るものである。
観ているうちにちゃんと物語にハマった…
ということで、私の頭の中ではこの実写ドラマはちゃんと修正され、実写鉄人28号として記憶されている。
その分思い出深い。
放送は日本テレビ。
もちろん、名作『鉄人28号』は後にちゃんとアニメ化され、さらには実写映画も作られることとなる。
『ミステリーゾーン』(放送・昭和35年〜)
SFというジャンルが世界を席巻した時期でもあった。
まるで高質のSF短編小説を読む様な1話完結の30分アンソロジー番組。
放送は日本テレビ。
当初は『未知の世界』というタイトルだったが途中で『ミステリーゾーン』に変わった。
アメリカでのタイトルは『トワイライトゾーン』。
タイムスリップや超能力、はたまた超常現象など…毎回SF的な思いもよらないストーリーが展開する。
そして最後は必ずと言っていいどんでん返しの結末が待っている。
一度見始めたら絶対に目を離せない番組で、私は夢中になった。
手塚治虫と同じ様に、物語を創ることは素晴らしいと教えてくれたシリーズである。
この番組を皮切りに『世にも不思議な物語』や『アウターリミッツ』といったアンソロジー系のテレビ番組が作られる様になった。
『ララミー牧場』(放送・昭和35年〜)
NET(現・テレビ朝日)放送の1時間輸入ドラマ(実尺は約45分+淀川長治による西武こぼれ話)。
本国アメリカでは決してヒット番組ではなかったようだ。
それでも4年間続いたシリーズなので、そこそこという感じだったのだろう。
何故か日本では大ヒット番組となった。
19世紀のワイオミング州ララミーにある牧場兼郵便駅馬車の中継地を守る若い経営者スリムとそこに流れ着いた腕利きガンマンのジェスの2人を主人公にした西武活劇でありながら一話完結のヒューマンドラマ。
特にこのガンマン、ジェス役のロバート・フラーが日本では大人気を博したのだ。
身長はあまり大きくなく、シャイで物静かで黒髪(ブラウン)で甘いマスク… 喋る言葉は乱暴だが正義感が強く、いざ戦えば得意の早打ちで恐ろしく強く、そして基本優しい… 確かに日本人ウケする要素を沢山持っていた。
その人気は社会現象とまで言われ、招待来日した時には飛行場には女性ファンが押し寄せ、当時の池田首相が官邸に招待する程だった。
かのビートルズ以上のもてなされ方だったのだ。
この番組、もう1つ視聴者にウケた要素があった。
それが本編後に映画評論家の淀川長治氏が登場して、アメリカの西部劇映画の裏話や、ララミー牧場の撮影秘話などを話してくれるコーナーがあった。
もちろん当時は誰も知らない人物である。
大阪訛りのこのキャラクターが物凄く個性的、今で言えば超オタクでいかにも面白そうに可笑そうに諸々を解説してくれる。
最後の「では、さいなら、さいなら」の片手ニギニギポーズも大ウケだった。
淀川氏はこれをきっかけに日曜洋画劇場の名司会解説者となる。
『七人の刑事』(放送・昭和36年〜)
本格的刑事ものの草分け的連続ドラマ。
放送はKRTテレビ(現・TBS)で週1回、平日の夜8時代の1時間枠だった。
かなりリアルなサスペンスタッチで、重厚な、完全に大人のドラマの仕上がりになっていたので、子供の私としては観ているだけでちょっと大人な気分に浸ることが出来た。
この頃は日本ではようやくVTR収録が広まっていった時代。
番組は生放送が基本だった。
構成が複雑なドラマはフィルム収録、フィルム編集が基本だが『七人の刑事』はVTR収録だった。
ただしまだVTR編集は出来ない時代だったので、収録は一発撮り。
外ロケシーン分はフィルムで制作しておいて収録時に差し込む。
スタジオは沢山のセットを組み、生出しも含めてパズルのように大変苦労して一本を作り上げていたらしい。
NGなどあってはならないことだったのだ。
『七人の刑事』にはとても有名な逸話がある。
主演格の刑事を演じていた芦田伸介が収録中、渡された小道具の拳銃を胸のホルダーに入れ忘れてしまっていた。
逃げる犯人に拳銃を向けるシーンに入ると拳銃がないことに初めて気が付く…そこで咄嗟に「止まれ撃つぞ!」と胸元から何も持たない手を出して人差し指を向け、口で「バーン!」と言い放った。
それがそのまま放送されたという逸話だ。
嘘のような本当の話らしい。
『(シャーリーテンプルの)おとぎの国』(放送・昭和36年〜)
ディズニー以外でこれほど高品位なファンタジーがあるとは思わなかった。
NHKで毎週金曜日夜に放送された1時間番組『おとぎの国』だ。
アメリカでのタイトルは『Shirley Temple Story Book』。
天才子役として世界の映画界にその名を轟かせたシャーリー・テンプル。
結婚を機に引退した彼女が数年ぶりに童話のプレゼンテーターとしてテレビシリーズで復活した。
毎週シャーリーが登場し、お勧めの童話が一話完結ドラマで紹介される。
時にはドラマの中の役柄としても彼女自身が演じることもあった。
シャーリー・テンプルというと私の親の世代でないと、どの位有名な人なのかは知らない。
なので、番組冒頭で登場するプレゼンテーターの女性が何者なのか全くわからなかったが、毎週ワクワクしながら観ていた。
それほどこの番組は良く出来ていた。
というより、童話を本気で贅沢に作った番組だった。
多分、今観ても古さは感じないだろう。
『魔法のじゅうたん』(放送・昭和36年〜)
私は黒柳徹子が大好きだった!
ザ・ピーナッツの次くらいに好きだった。
その理由はこの番組だ。
NHKがウィークデイ(何曜日かは忘れた…)の夕方から放送していた。
子供向けのバラエティー番組で、道化師3人組のコントのようなコメディーコーナーがあったり(大して面白くなかった)ペーパーアニメーションがあったりしたが、私が一番楽しみにしていたのは最後の魔法のじゅうたんのコーナーだった。
黒柳徹子がアラビアンナイト風の格好で登場し、毎回小学生2人をゲストに招く。
3人でスタジオに用意された絨毯の上に招待する。
絨毯はスタジオから屋外に飛び出し(ここはアニメーション処理だったと思う)、どんどん上空へ…
当時は特撮の先端技術だったクロマキー合成で空撮のフィルム映像と合成される。
そしてゲスト2人の通う小学校の上空へ…
3人の眼下では学校の全校生徒が校庭に集結して人文字を描き、皆んなで手を振っている、というお決まりの運び。
黒柳徹子のお喋りが軽妙なのと、アラビア風衣装がやたらと色っぽく、彼女の美人でスタイルの良さを際立たせていた… と、私は思った。(そう思った男の子は多かったと思う)
私の性意識の芽生えはこの小学校低学年までのものだったと思う。
対象はティンカーベルとザ・ピーナッツ、そして黒柳徹子であった。
小学校3年生までの間に私の心に焼き付いたテレビ番組…
特筆すべきものだけでもこれだけある。
私がいかにテレビっ子であったか…ということだ。
まだまだ続く…
私は小学校高学年へ…そして思春期へ…
目眩く時代の変化の中で、テレビ番組もどんどん進化してゆく。
次回は昭和37年からの数年間…
いよいよ日本製アニメが登場し始める…