朝食を少し食べる、顔は洗わない。 食後の皿はシンクで昼まで寝かせておく。 子供のためなんとか食器を洗い昼食を作る。 食後の皿は、同上。 妻帰宅、妻のため、同上。 風呂には入れない。なんとか生きている、なんとか。 苦しいときは酒に逃げる、次の日に絶望するとわかっていても。 調子が良くて朝から数か月ぶりにひとりで買い物に出かけたのが悪かったのか、夕方からものすごく落ち込む。いま文章を書けているからましな方なのだろう。でも、これから夕食をとり、布団を敷いて寝る。そんな予測可能なこと
タイトルは、ハイロウズの「一人で大人、一人で子供」という曲の歌詞だ。 わたしはこれを何十年前どこかのCDショップで流れていて衝撃を受けた。そのころのわたしはしょっちゅう絶望していた。どうにかポジティブになろうと心理学の本を読んだりと努力していた。自分はおかしいと思っていたのだ。それがなんと「絶望なんてしててあたりまえ」だというのだ。ついでにうんざりなんてしててあたりまえとも歌っている。わたしが悩んでいたことは悩むようなことではなく、当たり前のことだとハイロウズは歌っている。
鬱の方のブログなどを読んでいると、笑えなくなった、とよく書かれている。それを見てハッとする。私も心から笑ったのはいつだろう?思い出せない。なにか非常にまずい気がして、ユーチューブでお笑いを観た。おもしろかった、ハハハと笑えた。でもこれじゃない気がする。心からじゃなかった。きっと人間関係のなかで笑えないといけない気がする。家族以外との人間関係は断絶している状態では無理っぽいし、仮に知り合いができたとしても作り笑いしかできず疲れるのは目に見えてる。 笑うなんてもう数年忘れていた気
私の好きな小説の主人公は最後、死ぬ前に言う。「あかんかった」 それは心の中の「ほんとうのこと」を探ったあとのことばだった。 私がひとりなのは「ほんとうのこと」を誰にも言えないからではないのだろうか?幸い私には本当の事があると思う、ただ、汚れていたり、弱かったり、とあまり開示したくないことが悩みだ。ほんとうのことが汚れていたらどうすればいい?孤独になるしかないのだろうか? SNSで他人の言葉とは簡単に繋がれるけれど、問題は「ほんとうのこと」とは繋がれないことだ。そして孤独を埋め
最近ふと気づいた。 楽しみにしていることがないということに。 数年前までは、映画を観るのが好きだった。話題になっている映画を観ながらポテチを喰らうのが楽しみだった。鬼滅の刃の無限列車編などは何回も観に行ったから、それまでは映画をたのしく観ていたのだ。 最近ではSHOUGNを観たいな、と思った。でも実行に移せない。配給元のディズニーから今契約すればお得です、みたいなメールもきてた。昔なら即契約し観ていた。真田広之は昔から好きな俳優で、たしか中学生のころにみた「阿部一族」の殺陣の
「己のことしか考えぬものは己をも滅ぼす者だ」 黒澤明監督の七人の侍での勘兵衛のことば。 ただ人は多かれ少なかれまず先に己のことを考えるもので、勘兵衛の場合、三軒の離れと20の家を天秤にかけると20守るっしょ。という場面で三軒側の家主がそりゃないぜと反対したときに放った言葉だ。私はこの言葉が耳から離れない。 現代で己のことしか考えぬ者とはナルシストといわれ、うぬぼれ屋、自己チューと蔑まれる。そして私自身もそうであろうと思うからだ。 はじめての精神科の問診で、自分がなにか特別な力
流れ星に願いを 叶えるつもりのない速度で 消えてゆく夜空の一閃 椅子の上に立つ子供に あぶないよと注意をして 明日の朝は早いから おそくても9時には寝なくちゃね それができたら スタンプを押せるからね いつのまにか私の願いは叶っていた 願っても叶わないことと 願わなくても叶うこと いつのまにか私の願いは叶っていた
キッチンペーパーはロールよりも ティッシュペーパー型がいい すこし割高だけれど 北のほうで今日戦争が始まった 文字の中で人が死んだ 文字の中で血が流れ 文字の中で涙が落ちた 叫び声も文字で 逃げ惑う音も文字で あと、米が足りなくなるらしい あきたこまちが10キロで3000円 去年より少し高い 井上陽水がのまねができる 文字の中 魚が泳ぐ 文字の中 ビニール傘が四本 ビール瓶が三本 あと思いつかない 星が綺麗だ 文字の中で 文字の中で 思っても居ないことを たくさんたくさん話
皆さんにとって母親とはどういう存在だろうか? 私にとっては恐怖だった。 恐怖といっても殴られたりなどの暴力はない。 自分と子供を同一視しているような、他者としての境界線がないような恐怖だった。 他人との境界線という言葉はこの本ではじめて知ったし、聞いてもピンとこなかったのは親との関係でそんなものは無かったからだと思う。 たとえば、母が食事中に「きんぴらごぼういる?」と聞いてきて私は「いらない」と言う。普通の会話だ。だが母は数分後ふたたび聞いてくる「きんぴらごぼういる?」私「
今はきっと躁状態だと思う。 勝手に断薬をしているここ2,3日。 一年ぶりくらいにお酒を飲んでいる。なぜ一年も断酒しているかというと、最後に飲んだ日の夜、希死念慮に駆られ非常に危なかったからだ。 そのことを医師に告げると、当たり前だけど止められ、それを律儀に守っていた。守っていたというか、もうあの状態に陥るのは自分でも非常にまずいと分かっているため自主的にやめていたというほうが正確だ。 私は30年近く鬱々とした気持ちをずっと酒を飲んで紛らわせていた。 それを止めざるを得ないとし
「ムリをしないこと」。数か月前に主治医からそう言われたとき、私は心の底から驚いた。私には自分が無理をしているという感覚が全くなかったからだ。アラフォーで子供がいて、無職の私が一体何を無理しているというのか?そのときの私は調子が良いと感じていたし、少し苛立ちを感じながらも主治医に反論した。「いま、この状態で私が無理しているように見えるなら、私はずっと無理してきたことになる」と。「私にはこれが当たり前の状態で、ずっとこう生きてきた」「無理をしているとしても、そもそも普通の状態がも
双極性障害と診断されるまえから不眠だった。 深夜二時にひとり起きて、朝まで絵を描いたりした。 昨日はお酒を飲んだので、睡眠導入剤は飲めない。そしていま、深夜3時この文章を打っている。悪夢で叫びそうになりながら目覚め、動悸がなかなか止まらなかった。悪夢が現実ではないようにと子供の寝息を確認した。 今日の昼、双極性障害で作家としても活動されている坂口恭平さんの小説を読んだ。タイトルは「家族の哲学」 うつ状態の焦燥感や家族への罪悪感など、心理描写が細かく書かれていた。 風邪を
子供がブランコで揺られはじめて45分。 私は公園のとなりの広い芝生の上をぐるぐる回っていた。散歩道もあるけれど、散歩道はすれ違いざまに挨拶するべきか?という永遠の謎が解けない私には歩けない。私のひきこもりの一因でもある対人恐怖はどこにいても私の行動に影響を及ぼす。 外出したい気持ちがあってもドアを開けた瞬間ご近所さんと出会ったらどうすればよいのかわからない。出かけなきゃ出会うことはない、止めとこ。みたいなことがよくある。 ランニングが出来ていた頃は不眠だということもあり朝3時
6時47分起床 途中起きたけど良く寝れた。 昨日の夜は思い出したくないほど最悪だった。 うつ状態で鍋を作った。夢の中で作っているようだった。 夢といってももちろん悪夢だ。もし家族が居なくてこの悪夢から醒める方法があるなら、、、、、なんてことをぼんやりとした頭で考えていた。 鍋の出汁の昆布だけが煮詰まってゆく。昆布は沸騰させちゃダメらしい。 だから止めなきゃ。床にモノを置いてもだめだし、毎日掃除をしなきゃいけないし、私には守れないことが多すぎる。肉はいつ入れるのが正解なんだろう
24という海外ドラマにハマっていた。 リアルタイムに思ったことを書いていこうと思う。 夕方5時、今日はうつ。 焦燥感に駆られ、6畳の部屋をうろうろする。 昨日は辛すぎて酒を飲みたくなったが、ノンアルコールビールで踏みとどまった。医者に断酒を勧めら一年近くは飲んでいない。 朝食はご飯、しらす、味噌汁。 昼食は昨日45分煮込んだミートパスタ。 朝、昼食後の皿は流しに溜まっている。 夜ごはんを作ることを考えて絶望している。 嫁さんが帰るまで孤独に耐える。 帰ってきたが結局辛い。
双極性障害と診断され約二年。 これはとても辛い病気だ。忍者のように潜んでいて、突然攻撃される。私が攻撃を受けているとは誰も気づかない。診断を受けるまでは本人さえも気づかないのだから。 私の場合、うつで絶望したり、不安や焦燥感に駆られたり。躁でイライラしたりと辛い。頭があまり働かないので、この文章も脈略の無いものになるかもしれない。でも下手でも書かないよりはいいと思い書こうと思う。 社会生活を送っていても双極性障害を打ち明ける機会はあまりない。 そもそも私の場合、ここ二年ほど