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予測可能なこと

朝食を少し食べる、顔は洗わない。
食後の皿はシンクで昼まで寝かせておく。
子供のためなんとか食器を洗い昼食を作る。
食後の皿は、同上。
妻帰宅、妻のため、同上。
風呂には入れない。なんとか生きている、なんとか。
苦しいときは酒に逃げる、次の日に絶望するとわかっていても。
調子が良くて朝から数か月ぶりにひとりで買い物に出かけたのが悪かったのか、夕方からものすごく落ち込む。いま文章を書けているからましな方なのだろう。でも、これから夕食をとり、布団を敷いて寝る。そんな予測可能なことを想像すると、生きることがものすごく億劫だと感じる。
子供はゲームをして楽しそうに笑っている。
とても平和でしあわせな空間になり得るはずなのに、ひとりこんなことを思って絶望している。この鬱。私を孤独にする鬱。だれとも共感することのできない鬱。100年の孤独という小説は読んでいないけれど、きっと鬱の人のことだ。そうに決まっている。こんど読んでみよう、それを楽しみに生きるのだ。



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