SHOUGN観たい
最近ふと気づいた。
楽しみにしていることがないということに。
数年前までは、映画を観るのが好きだった。話題になっている映画を観ながらポテチを喰らうのが楽しみだった。鬼滅の刃の無限列車編などは何回も観に行ったから、それまでは映画をたのしく観ていたのだ。
最近ではSHOUGNを観たいな、と思った。でも実行に移せない。配給元のディズニーから今契約すればお得です、みたいなメールもきてた。昔なら即契約し観ていた。真田広之は昔から好きな俳優で、たしか中学生のころにみた「阿部一族」の殺陣のカッコよさに感激したのをいまでもおぼえている。
そんな昔から好きな俳優が主演でエミー賞も受賞したドラマを観ないてはないのだが、なぜか億劫だ。なぜか、というか、うつだからなのだろうけど、昔は楽しめていたはずのことが楽しめなくなり悲しいな、となる。
悲しみはまだいい。いや、良くはないけれど、比較的、虚しいよりはずっといい。悲しいな、とつぶやいたり、嘆いたりできることがあるから。
虚しいときは、ただ、虚しい。真っ暗な井戸をのぞいていて、その場所から動けない。みたいな。井戸はないから、最近はタニタの丸い時計をボーっと観ているなどして、一分の長さに絶望したりしてる。
とにかく、楽しいことが思いつかない。エンタメ業界のどこかの分野に助けてもらいたい。うつでも楽しめること、、、楽しめないのがうつなのであって、うつでも楽しめること、などというのは熱が38度あっても楽しめることを考えているようなもので、そんなもんはねえ。ネテロ。と言われて終わりである。
朝3時半に目覚め文章を書く。楽しくはない、ただなにもしないでタニタの時計を眺めるよりはマシで、だらだら書いて今は四時半。時計を時計として使えている。すばらしいことだ。はやく朝6時くらいになって世界が動き出してほしい。そうすれば世界のたてる音の中で私の心の声はかき消される。
死ぬことは嫌なことなはずなのに早く時間が進むことを願う。人間は今のために未来を、、、いや、未来など今がなければない。今しかない。いまも未来も過去も溶け合い境界線などないのなら今も無いといえる。0は1にどの瞬間に変化するというのだろう?「永遠」をどうやって観測したのだろう?なぜ滑って転ぶのはバナナの皮なのか?まで思いついてバナナ喰いてえと思ったので、たべようと思う。やりたいことあったな。
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