如何にして私は性別を失ったか③最終章
こちらは「如何にして私は性別を失ったか②」の続きとなります。
※引き続きこの記事には暴力やセンシティブな話が登場します。ご気分の悪くなる方はお読みにならないことをお勧めします。
また、しつこいですが冷やかしでお読みになることもおやめください※
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5.そして私は性別を失った
②の記事の4.の経験を機に私の中で何かが色々と失われました。
恋愛や性愛への信頼、人への信頼、人としての重要な感情のいくつか、一定期間の記憶、自分が何者かという仄かながら積み上げつつあったアイデンティティ。
アイデンティティについては、確かに私は何者か物心ついて以降常に悩んでいましたが、被害に遭ったことで、悩みながらも、むしろ悩むことで消去法的に戊朧げながら少しずつ構築されてきていたものが完全に崩壊しました。
私は何者でもなく、ただ息をし動き、時として加害者に無料で提供されるただの肉塊でした。
それも別の機会に書きますが、この事件を機に以前に女性からの被害に遭った(この男性ほどの゙犯罪性はありませんが)事も判明(自覚)しました。
内容としては、別れた相手から別れて以降も触られていたのですが、被虐児の自覚すらなかった当時の私には、それが“加害“という認識もなく、私に断る権利があるとさえ思っておらず、困りながらも誰にも助けを求められずいつも凍りついていました。
それはきっとそういう相手には”同意”に映ったことでしょう。
彼女からのそれは私が引っ越すまで続きました。
明確な犯罪被害に遭う以前から、私は自覚なく被害者で意思なき肉塊でした。
そのただの肉塊に人間特有の崇高な感情など湧くはずもありません。
また湧きかけても、被害は軽いスキンシップ程度さえも障害として後遺症を残し、築きあげた関係もそれにより相手を傷つけ終わりました。
これ以上人を傷つけたくないので、それ以降私はまともなパートナーシップを築いていません。
今でも他者との間にまともなパートナーシップはありませんし、他者との触れ合いも苦手です。
これもまた別の機会に書きますが、女性の後輩からセクシャル・ハラスメントを受けた事もあり、そこに私の相手の気持ちの読み取りの苦手が加わると『相手の人は友人として私を好んでスキンシップをしてくるのか、下心があってなのか』が判別できず、女性からのスキンシップは特に苦手です。
私の戸籍上の性別から言って、男性はそういう間柄でない限り流石に友人でも抱きついたりはしないので。
トラウマ治療に乗り出したくとも主治医より「今のうつ状態でトラウマ治療は危険」との事で前へ進めていません。
私の時間は今もあの日から止まったままの部分があります。
6.最後に
こうして私の心の性別は失われました。
ジェンダー論に則れば“クエスチョニング“という事になります。
実際、私は私が未だに何者なのか分かりません。
ただ、その一因は私を組み立てるためのパーツが壊れたからです。
とても重い話になりましたが、世の中にはこうした”結果としてのクエスチョニング”の方もいるかもしれないと思い、今回、記事に起こしました。
※もちろん、私とは異なってご自身に確信を持ったLGBTの方々の方が多いと思いますし、この記事を著した事は、そうした方々への疑念や批判する意図は全くないことをご理解いただけますと幸いです。
というか、そんな感情を持ったら後生触れられなくなる・触れ合えなくなる、私にとっての大切な作品や友人達がいます。
私は、それが誰であれその方のジェンダーやセクシャリティ<<その方との関係性、その方の(私が思う)人柄、その方への私の気持ち、尊敬の念というスタンスで生きています。※
少し話が逸れましたが、
現在、何らかの障害を抱えたり、いわゆる“弱者“となる属性(目下の立場、幼い、女性、非力など)を持っていたりして性被害を遭っていない方には、用心深すぎるほどの用心を勝手ながら強くお勧めします。
彼らはどんな性別でも年齢でも関係性でも、鋭い嗅覚で“狩りやすい相手“を見つけ出し、卑劣な手口で秘密裏に事を運びます。
障害や弱者属性を持っていると、それだけで”狩りやすい相手”になりやすいです。
どうかあなたの人生に卑劣な悲劇が降りかからない事を勝手ながら祈っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
あなたがあなたらしく、何かに阻害されることなく生きられますように。
私もいつの日か自分が何者か分かる日が来ますように。