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【分野別音楽史】#08-6 「ロック史」(1990年代)

『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。

本シリーズのここまでの記事

#01-1「クラシック史」 (基本編)
#01-2「クラシック史」 (捉えなおし・前編)
#01-3「クラシック史」 (捉えなおし・中編)
#01-4「クラシック史」 (捉えなおし・後編)
#01-5 クラシックと関連したヨーロッパ音楽のもう1つの系譜
#02 「吹奏楽史」
#03-1 イギリスの大衆音楽史・ミュージックホールの系譜
#03-2 アメリカ民謡と劇場音楽・ミンストレルショーの系譜
#03-3 「ミュージカル史」
#04「映画音楽史」
#05-1「ラテン音楽史」(序論・『ハバネラ』の発生)
#05-2「ラテン音楽史」(アルゼンチン編)
#05-3「ラテン音楽史」(キューバ・カリブ海編)
#05-4「ラテン音楽史」(ブラジル編)
#06-1「ジャズ史」(草創期)
#06-2「ジャズ史」(1920~1930年代)
#06-3「ジャズ史」(1940~1950年代)
#06-4「ジャズ史」(1960年代)
#06-5「ジャズ史」(1970年代)
#06-6「ジャズ史」(1980年代)
#06-7「ジャズ史」(1990年代)
#06-8「ジャズ史」(21世紀~)
#07-1 ヨーロッパ大衆歌謡➀カンツォーネ(イタリア)
#07-2 ヨーロッパ大衆歌謡②シャンソン(フランス)
#08-1 ロックへと繋がるルーツ音楽の系譜(ブルース、カントリー)
#08-2 「ロック史」(1950年代後半~1960年代初頭)
#08-3 「ロック史」(1960年代)
#08-4 「ロック史」(1970年代)
#08-5 「ロック史」(1980年代)

前回の冒頭に「80年代のロックは人によって体系の認識にバラつきがある」と書きましたが、90年代のロックに関しては「オルタナティブロック」という1つのキーワードのもとに、ある程度の統一的な見解が再び生まれているようにも感じます。

とはいえ、この時代になると既に、ロックだけが主流ジャンルとなっていた束の間の時代は過ぎ、「ロックの外側」にも多様なポピュラージャンルが台頭しています。

ロック側の視点を持つ人間の記述としては、それらの他ジャンルを単に無視しているわけではなく、他ジャンルの台頭を「ロックの新たなサブジャンル」として矮小化し無理やり配置したりする史観がしばしば見られるように感じます。それでいて、かつてのサウンドからあまりに乖離してしまったロックを嘆いたりするのです。

そうした傾向から、この時代以降、「細分化」という言葉で記述が誤魔化されたり、ひたすらマニアックなバンドを紹介するだけの解説が溢れたり、と、ゼロからざっくりと全体を捉えるには厳しい状況のようにも感じます。

この「分野別音楽史」の記事としては、ロックの系譜とは異なる分野については、きちんと「別の系譜」として尊重し、配置していくことが妥当だろう、と考えます。

ということで、ロック史が終了したあとにも、まだまだそれらのロック外の系譜を記事にする予定ですので、その視点も意識しつつ、ひとまず本記事では狭義としての90年代のロックを中心にまとめていきます。

とはいえ境界線というのは曖昧で、結局のところ納得できる視点というのは人によって異なるかもしれませんが、いろいろ調べた上で、自分なりに分かりやすく妥当だと感じるようなまとめ方で書いておりますので、よろしくお願いいたします。


過去記事には クラシック史とポピュラー史を一つにつなげた図解年表をPDFで配布していたり、ジャンルごとではなくジャンルを横断して同時代ごとに記事を書いた「メタ音楽史」の記事シリーズなどもあるので、そちらも良ければチェックしてみてくださいね。



◉オルタナティブロック黎明期

80年代のロック界の潮流をおさらいすると、LAメタル・グラムメタルなどの大会場でのパフォーマンスによる「スタジアム・ロック」「アリーナ・ロック」「商業ロック」などと揶揄されたサウンドや、スラッシュメタルやデスメタル、ブラックメタルやデュームメタルなどの「エクストリーム・メタル」やパワーメタル・スピードメタルなどといった、細分化して独自の生態系を持つようになったメタルなど、大きくHR/HMと括られるダイナミックで派手な志向を持つロックバンドが主流となっていました。

一方で70年代後半のパンクロックから端を発する、メジャーへのアンチテーゼと実験精神を理念に持ったバンド群も登場し、ポスト・パンクニューウェイヴと呼ばれました。しかし、こちらもアート面との接近や、シンセサイザーの多用、MTVでの成功など、煌びやかなサウンドへと成長していったことで、反商業的な姿勢を支持するロックファンにとっては不満が溜まってしまっていました。

さらにロック以外のジャンルとして、ヒップホップの台頭や新しいR&Bの登場、クラブミュージックの発展など、デジタルサウンドが席巻し、往年のギターロックのスタイルを望むリスナーにとって辟易する状態となっていたのでした。

こういった中で、アンダーグラウンドなシーンでは、不満の受け皿となる別の動きが広がっていきます。

ポストパンクとは別の、パンクロックをより狂暴化させたハードコアの誕生や、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのようなミクスチャー・ロックのスタイルの登場などは前回の記事でも紹介しましたが、ここでさらに90年代のロックに直接的につながる流れにも触れていきます。

80年代、華やかに巨大化した音楽シーンの裏側では、全米各地に無数のインディペンデント・レーベルが生まれていました。インディーズの音楽が活性化する基盤となったのが、大学生たちが放送部のように運営する「カレッジ・ラジオ」でした。限定的な地域のみで聴くことのできるコミュニティラジオとして機能し、地元のライブハウスで人気となっていたバンドがとりあげられたことでアンダーグラウンドなバンドシーンが活性化していったのです。

こうしたシーンから登場した代表的なバンドがR.E.M.ソニック・ユースです。こうしたインディーズのロックが、「メインストリームのロックに対抗するもう一つのロック」という意味でオルタナティブロックと呼ばれるようになりました。

80年代後半においては、地域的なインディーズシーンに対して使われていたこの語ですが、90年代初頭にかけてこういったバンドのサウンドがメジャーシーンに躍り出るようになり、新たなロックの主流ジャンルとなったのです。

この時期は他に、ピクシーズジェーンズ・アディクションナイン・インチ・ネイルズマリリン・マンソン、といったバンドが登場しています。



◉グランジブーム

オルタナティヴロックに共感したのは、ヒッピームーブメント~ベトナム戦争終結の時代(1960年代後半~1970年代)に産まれた世代であり、彼らは「ジェネレーションX(X世代)と分類されます。

ジェネレーションXはヒッピー運動の衰退とベトナム戦争の終結による「しらけムード」の中で10代を過ごしました。その後、80年代のアメリカのレーガン政権下では富裕層を貧困層の格差が広がっていったこと、親の世代の離婚率の上昇、1989年の冷戦終結とベルリンの壁の崩壊などでの社会不安、不況、軒並み就職難に覆われるなど、将来に希望を持てず、鬱屈とした空気感を纏った若者となっていました。

特にこういった若者たちからカリスマ的に支持されたのが、カート・コバーンがボーカルを務めるニルヴァーナです。1991年のアルバム『ネヴァーマインド』からのファーストシングル『Smells Like Teen Spirit』が大ヒット。内向的でネガティヴな歌詞と攻撃的なサウンドが、当時のX世代が抱えていた苛立ちや閉塞感に共感を呼び、オルタナティヴ・ロックを象徴するサウンドとして世に知らしめた形になりました。

ニルヴァーナを筆頭とするこのようなサウンドがアメリカのシアトルを拠点として台頭し、オルタナティヴロックのサブジャンルとして「グランジ」と呼ばれ、大きなムーブメントとなりました。

パール・ジャムサウンドガーデンアリス・イン・チェインズマッドハニーなどがニルヴァーナと並ぶグランジバンドであり、シアトル以外からもダイナソー・ジュニアスマッシング・パンプキンズストーン・テンプル・パイロッツといったのバンドがグランジの潮流として台頭しました。

さて、ニルヴァーナはアルバムのヒットによる急激な成功によって、パブリック・イメージと自身の内面に乖離を感じるようになり、精神的に不安定にさせる要因となってしまいました。

グランジの成功によりオルタナティブ・ロックがMTVでも頻繁に流れるようになるなど、かつての攻撃対象に自分たちが身を置くこととなり、パンク精神のズレが生じてしまったのです。そして1994年、カート・コバーンは27歳の若さで拳銃自殺してしまいました。

この悲劇により、90年代前半のアメリカの音楽シーンを席巻したグランジブームは急激に失速していき、オルタナティブ・ロックは次の段階へと進んでいきます。

インディーズであるという定義がグランジブームによって崩れたオルタナティヴロックという語は、単に「80年代主流のメタルなどとは異なるバンド群」というニュアンスを持つようになっていたのでした。

ニルヴァーナのドラマーであったデイヴ・グロールは、カート・コバーンの自殺によるニルヴァーナの解散後、フー・ファイターズというバンドをつくり、活動をつづけました。また、ブッシュ、コレクティブ・ソウル、ライブ、クリード、ニッケルバック、パドル・オブ・マッドなどといったオルタナティブロックバンドが登場し、彼らはグランジの後を継ぐ「ポストグランジ」というジャンルだとされました。




◉マッドチェスター

ヨーロッパでは80年代、ハウスやテクノなどのクラブミュージックが著しく発展し、80年代末~90年代にかけて、レイヴと呼ばれる野外ダンスパーティーが人気となっていました。これが、1967年のヒッピームーブメントになぞられて、セカンド・サマー・オブ・ラブと呼ばれました。

この影響を受け、ロックバンドとしても、ダンスビートとギターバンドサウンドを合体させることで成功したバンドがイギリスに登場します。

ストーン・ローゼズハッピー・マンデーズシャーラタンズプライマル・スクリームらが牽引したこの動きは「マッド・チェスター」と呼ばれ、イギリスにおいて70年代後半のパンクロック以来の「バンドブーム」を生んだのでした。

マッド・チェスターは短期間のブームに終わりましたが、このムーヴメントを通過したUKバンドが多く活躍することになります。



◉UKオルタナ

一方で、マッドチェスターの影響下とはいえないイギリスのオルタナティブ・ロックバンドも登場しました。ティーンエイジ・ファンクラブ、マニック・ストリート・プリーチャーズ、ハウス・オブ・ラヴ、ラーズ、プラシーボ、フィーダー、キーン、スノウ・パトロールなどです。

80年代の記事で既に紹介したザ・スミスやU2といったバンドからの流れにも位置付けられるかもしれない彼らのサウンドも、マッドチェスタームーブメントと並んで重要なブリティッシュロックの一潮流となります。




◉ブリット・ポップ

さて、こうした中、90年代のイギリスロックシーンのシンボル的バンドとなったのが、オアシスブラーです。

彼らを中心としたイギリスのロックシーンは「ブリットポップ」と呼ばれ、特に90年代後半は空前のブリットポップブームが巻き起こりました。

他にアッシュ、ブルートーンズ、スウェード、オーシャン・カラー・シーン、ザ・ヴァーヴ、パルプ、クーラ・シェイカー、ミューズ、ステレオフォニックス、スーパーグラス、トラヴィス、ドッジー、ノーザン・アップロアなど多彩なバンドが登場しています。




◉ポップパンク/メロコア/エモ など

90年代オルタナティヴロックにおいてはグランジの他に、パンクをルーツに持ちながらメロディアスで聴き易いポップパンクという潮流も広まりました。

この潮流はグリーン・デイオフスプリングの登場によって広まりました。70年代の本来のパンクロックに比べ、音圧の高さと疾走感が特徴となっています。

近しいジャンルとして、メロディック・ハードコア(通称「メロコア」)と呼ばれるジャンルも存在します。ポップパンクと混同されがちな分野ではありますが、その違いは70年代のパンク・ロックではなく、80年代のハードコア・パンクにルーツを持つ点だといわれます。

グリーン・デイやオフスプリングのほか、バッド・レリジョン、NOFX、ブリンク 182、ライフタイム、ウィーザーなどといったバンドがいます。

ハードコアパンクをルーツとする音楽としてさらに、エモというジャンル名も出現しました。エモーショナル・ハードコアやエモコアとも呼ばれます。具体的には、サニーデイ・リアル・エステイトがこの「エモ」だとして登場しました。

シアトルのアングラシーンをグランジという名で世界に紹介したサブポップというレーベルが同じように「エモ」という語で音楽を紹介したため、当初はメディア用のラベルではないかといわれていました。

グランジブームと重なり、曖昧な定義のまま一度消滅するかと思われていましたが、このあと00年代に一定のバンド群がこの「エモ」というジャンル名で一般に認知され、この時代に発生したロックのサブジャンルの一つとして定着していくことになります。



◉ミクスチャーロック

90年代はヒップホップの影響が密接になっていった時代でもありました。80年代で紹介した通り、ハードコアパンクとファンクを混ぜ合わせたようなミクスチャーロックというジャンルがレッド・ホット・チリ・ペッパーズの台頭によって決定的となりました。

これらに続いてレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンも重要なバンドとして登場します。ヘヴィなリズム隊とトリッキーなギターに、政治問題に言及していくシリアスなボーカルのラップが特徴です。

ミクスチャーロックには他にも、ハードコアパンクとスカが融合したスカパンク/スカコアなどとされるランシドサブライムフィッシュボーンなどが登場しました。



◉シューゲイザー/実験的サウンドへの接近

グランジやポップパンクなどとは一線を画して独自の立ち位置を築いたサブジャンルも登場しました。その名も、シューゲイザーです。

演奏中、うつむいて靴(シュー)を見つめている(ゲイズ)ようだということからその名が付けられ、エフェクターによって極度に増幅を重ねたノイジーなギターと内省的な世界観が特徴で、そのサイケデリックなようすから、ネオサイケデリアとも呼ばれました。60年代後半のサイケデリック・ロックの新解釈として、オルタナティヴ・ロックの1ジャンルとも捉えられています。

ジーザス&メリーチェインがこのようなサウンドの先駆けとなり、90年代初頭にマイ・ブラッディ・ヴァレンタインがヒットしたことにより世界中に衝撃を与え、ジャンル化されていきました。

他にスロウダイヴ、ライド、ラッシュ、ムーンシェイク、スワーヴドライヴァー、テレスコープス、カーヴ、メディスン、ペイル・セインツ、チャプターハウスなどのバンドがこのカテゴリーに分類されました。


さて、この時期イギリスに登場したレディオヘッドは、はじめはオルタナティヴ・ロックやブリットポップを大枠として活動を開始するも、次第に電子音楽や現代音楽などの分野に興味を示します。アルバムの世界的な成功により名声を得るも、その方向性を次々と捨てて急速に音楽性を変化させ、実験的なサウンドを打ち出してロック界に衝撃を与えました。

初期のオーソドックスなスタイルでは『Creep』が世界的なヒットとなり、その後3rdアルバム『OK コンピューター』では様々な実験的要素を取り入れて大きな評価を獲得。さらに4thアルバム『キッド A』でエレクトロニカ・現代音楽などに大きく傾倒し、「商業的自殺」とまで言われましたが,
大方の予想を裏切り再度成功を収めました。

他に、マッシヴ・アタックは、ヒップホップ、レゲエ、ジャズ、ソウル、ロックなど様々なサウンドをミックスした独自の音楽性でトリップホップというジャンル名が付けられて評価されました。

このように、シューゲイザーやトリップホップ、レディオヘッドの音楽性の変化などから、00年代以降のロックバンドにおいて、エレクトロニカなどと接近する潮流が生まれていくことになります。



◉ソロアーティストの活躍

90年代のロックシーンでは他に多彩なソロシンガーもシーンに爪痕を残しました。ビョークベックなどはハウスやヒップホップなどの影響を受けたコンピューター世代のロックサウンドとして独特の世界観を開拓し、インパクトを残しました。

ベン・ハーパーレニー・クラヴィッツシェリル・クロウなどのシンガーソングライターも多くのヒットを残しました。



◉メタルのその後

オルタナティヴロック、特にグランジはメタルを敵視していました。特に1991年にニルヴァーナの「ネヴァーマインド」のヒットにより、80年代のHR/HMは一気に古いものとなってしまったのでした。

HR/HMのウリであった派手な衣装や超絶技巧のギターソロ、大規模で大胆、破天荒な生き様などはすべてダサくなり、グランジの内省的で観念的なものが支持されるようになってしまったのです。

そういった中で、メタル界でも独自の進化を遂げた潮流が登場します。

90年代初頭、ドゥームメタルとデスメタルを融合したデス・ドゥームが発展し、ゴシックメタルが生まれました。ゴシックというイメージのとおり、コーラスやオーケストラの音などを導入した、暗く重厚で耽美的な世界観を特徴とします。

パラダイス・ロスト、アナセマ、マイ・ダイイング・ブライドなどのバンドがこのジャンルの代表的存在だとされます。この3バンドはイギリスのインディーズレーベル「ピースヴィルレコード」に所属していたため、ピースヴィル御三家とも呼ばれるそうです。

さらに、70年代のプログレッシブ・ロックの「難解で長大な楽曲、変拍子、転調、シンセサイザーの多用、コンセプト性を持ったアルバム構成」をヘヴィメタル・スラッシュメタルに融合させた、プログレッシブ・メタルというスタイルのバンドも登場し、90年代にマニアックなひとつのジャンルとして独特の立ち位置を確立しました。

プログメタルのBIG4(四天王)と呼ばれるのが、ドリーム・シアタークイーンズ・ライクフェイツ・ウォーニングクリムゾン・グローリーです。

さらに、パンテラエグゾーダーセパルトゥラといったバンドの音楽性を示すグルーヴメタルというジャンルも登場しました。

このように、メタルは80年代にも増してサブジャンルを増殖させ、独自の体系の中で融合・対立を激しく繰り返していったのでした。

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