『幽霊―或る幼年と青春の物語』(北 杜夫) 思い出の本②
北杜夫は私にとって特別な存在だ。
中学一年の夏休みに「どくとるマンボウ航海記」に出会った。
「世の中にこんなに面白い本があるのか。こんな楽しい本を書ける人がいるのか」
たちまち私は北杜夫の虜になってしまった。
その後も「どくとるマンボウ」シリーズのエッセイ作品を読みまくった。とくに「昆虫記」や「青春記」には航海記と同じぐらい引き込まれた。
しかし、エッセイ以上に私の心をとらえたのが、純文学の作品群だった。
短編集「夜と霧の隅で」や「天井裏の子供たち」、「星のない街路」、「遥かな国遠い国」、「牧神の午後」、「黄色い船」、「まっくらけのけ」、長編の「楡家の人びと」、「白きたおやかな峰」、「酔いどれ船」、「木霊」……どれもこれも夢中になって読みふけった。
それらの小説作品は、決して読みやすい読み物ではなかった。
一読しただけでは理解力が追いつかなくて、何度も後戻りしながら読み進めなければならないことも多かった。
ユーモアが全面に押しだされた明るく健康的な「どくとるマンボウ」シリーズとは、同一人物が書いた作品とは思えなかった。
そこには、まるで正反対のほの暗く繊細な文学世界がひろがっていた。
それぞれの物語の情景が、私の心のスクリーンには琥珀がかった薄明るい色彩をおびて映った。
私は、そういう世界にたまらなく惹きつけられた。
とりわけ私が愛したのが処女長編の「幽霊」だった。
「或る幼年と青春の物語」という副題があるとおり、戦前の裕福な家庭で育った幼年時代、少年時代の記憶と、終戦直後の旧制松本高校での日々が互いに行き来するようなスタイルで綴られている。
この小説には、明快なストーリーがあるわけではない。
様々な追憶の情景がモザイク模様のようにとりとめなく散りばめられていくばかりだ。そこに、戸惑いを感じる人も多いだろう。
ただ全体を通して、死の影、死への憧憬とでもいえるような思いが通奏低音のように流れている。それが、みずみずしい感性、やや病的ながらも美しい文章で綴られていく。
私は、そのはかなく清らかな世界にひたすら心を浸した。ほのかな光に浮かび上がる追憶の淡い世界に耽溺した。
これは、北杜夫が同人誌時代に書き上げた作品だ。若書きゆえの弱点があるのも確かだが、それを補っても余りあるぐらいのあふれんばかりの魅力がこの作品には詰まっている。