私の父方の祖父は、丹後の郷土歌人・俳人だった。
青霞(せいか)というのがその号だ。
没年は1978年(昭和53年)。日々の暮らしの中で作られた短歌や俳句には、大正~昭和当時の丹後の自然や生活習慣、農耕、また紙漉きや養蚕、機織りといった地域ならではの産業や風物の様子が、詠み込まれている。
それらについては、また別の機会に紹介したい。
祖父青霞は、旅が大好きで、暇を見つけては日本各地に出かけていたようで、旅の句歌も数多く詠まれている。
その中には、旅行に出かける前のワクワクとした気持ちを感じさせる俳句も残されている。
おそらく、稲刈りが終わり、農作業にひと段落がついたあと、冬の紙漉きの仕事が始まるまでのひと時の間、庭先で実った柿と山で拾った栗を大急ぎで鞄に詰め込んで、気ままな旅に飛び出していったのだろう。
今ならば、写真もデジカメかスマホで簡単にいくらでも撮れるが、昭和の頃はフィルムを買って、その規定の枚数分しか撮影できなかった。
だいたい12枚撮りか24枚撮りのネガフィルムで、長期の旅行のときに奮発して36枚撮りを買うという感じだった。
その枚数分に収まるように、頭の中で、撮影する場所を選び抜き、失敗しないように1枚1枚慎重に撮ったものだ。
昭和以前のフィルム写真には、独特の雰囲気や味わいが漂っているが、フィルムや銀塩プリントの物理的、化学的な特性だけでなく、撮影者の念のようなものも画面に影響していたのだろうなぁと思う。