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私がプロフィールページに使っているイラストについて説明しておきたい。

この絵は、私の「京都風音ピアノ100年の物語 ~この町で生きている~」という長編物語の中で使った挿絵だ。
トリエステというアドリア海に面した港町の光景。
およそ110年前(1910年代半ば頃)を想定して描いたものだ。

トリエステの港(すみがき たけし「京都風音ピアノ100年の物語 ~この町で生きている~」より) 

この物語は、今も京都の旧明倫小学校(現在は京都芸術センター)に残されているペトロフピアノをモデルとしたお話。
オーストリア・ハンガリー帝国のボヘミア地方(今のチェコ)で作られたペトロフのピアノが、大正時代の京都の小学校へやってきて、幾多の歴史の波を乗り越えて、今も大切に使われているというストーリーなのだが、この挿絵は、ピアノが汽車に乗せられて、プラハからウィーン、ライバッハ(リュブリャナ)と経て、トリエステの港に到着する場面で使われた。
トリエステは今ではイタリアに属しているが、この物語の当時はまだ第一次世界大戦のさなか、オーストリア・ハンガリー帝国領内で最大の港町だった。

挿絵を描く際に、困ったのは私自身がトリエステに行ったことがないということ。ましてや100年前のトリエステの光景など知るよしもない。
当時の写真や絵が残されていないか探してはみたが、描画の参考になるものは何も見つけられなかった。

あとは自分の想像力に頼るしかない。
現在の地図や衛星写真を見て地形や鉄道の路線を確認し、カルニオラ地方(現在のスロべニア)から山を越えて、汽車が港への坂道を下りていくシーンを描くことにした。
あとは、須賀敦子さんの「トリエステの坂道」というエッセイを読み、雰囲気をつかみ取ろうとした。
今では便利なものもあり、イメージをつかむのにとても役立ったのは、グーグルのストリートビューだ。
もちろん、これは鉄路ではなく、一般道から見える景色しかわからないものの、現地の光景を何度も頭にたたき込むためには大いに役立った。

着色は色鉛筆を使った。
私は水彩絵の具でも絵を描いているが、挿絵用にスキャンする際に、水彩画はどうしても淡くなりがちで、色も微妙に変化してしまうのが悩みの種だ。
そこでこの本の挿絵では、色の輝きをできるだけ再現するために色鉛筆を使用することにした。

絵を描いてから、かれこれ5年ぐらいが経つと思うが、いまだトリエステへ行ける機会はやってこない。
その間にはコロナ禍で海外へ行きにくい時期もあったが、今では円安が進みすぎて、とてもじゃないが海外旅行を気楽にできる時代ではなくなってしまった。
ああ、死ぬまでにトリエステを訪れることはできるだろうか。
トリエステの風の香りをかぐことはできるだろうか。

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