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【読書】貴族は暇人?執事って何やる仕事?:小林章夫『イギリス貴族』第二章

英国貴族のリアルを描き出した講談社学術文庫『イギリス貴族』の読書ノート。今回は第2章「貴族の豊かな生活」のまとめです。

黄金期にはありあまる財産をもって雑事を全て使用人に任せて、ありあまる時間を手に入れた英国貴族は、世界史上に類を見ない恐るべき暇人でした。

そんな彼らは一体どんな暮らしをしていたのでしょうか。今回は貴族の生活パートに焦点を当てます。私は子供の頃に『黒執事』や『ハヤテのごとく!』を読んでいたので、「執事」の登場するこのパートは特に興味深く読みました。

小林章夫『イギリス貴族』講談社学術文庫、2022年


お屋敷の使用人

貴族の生活の場は基本的に田舎です。広大な自分の領地に豪壮な邸宅を構えて暮らしていました。この邸宅はカントリーハウスと呼ばれます。現在は観光地化されたところも多く、検索すると見学可能なカントリーハウスが簡単に見つかります。

中世の貴族は100〜200人の使用人を抱えていたといいますが(吟遊楽人やトランペット吹き、鷹匠や道化師といった祝宴用の「芸能人」も含まれるそうです)、20世紀においても数十人の使用人を抱える大規模なカントリーハウスがあったといいます。

古い引用元ですが、比較的裕福なイギリスの中産階級の家庭(いわゆるアッパーミドルです)では使用人が最低6人は必要とされていました。その内訳はそれぞれコック、ハウスキーパー、ナニー(女性家庭教師)、ハウスメイド、侍女、運転手(または雑役夫)でした。

貴族ならここに様々な召使いが加わることになります。これが大規模な豪邸なら、たった6人で切り盛りするのは不可能だと容易に想像がつきます。

英国の執事

代表的な使用人は何よりも執事(バトラー)でしょう。貴族の令嬢をお嬢様と呼んでくれるであろう、あの執事です。その語源はボトルで、元々は酒類や食器などを管理する役割だったようですが、いつしか使用人の頂点に位置する役職となりました。

ところで、貴族と聞いて私たちはよく豪勢なパーティーや晩餐会をイメージしますよね。当然ですが、その際にはテーブルのセッティングや食事の段取り、ワインの選択や招待客の送迎までを含めた膨大な雑務や作業が発生します。誰かがそれを取り仕切らなければ、開催もままなりません。そこで活躍したのが使用人の頂点である執事というわけです。

ベテランの執事の存在はさぞ重宝されたことでしょう。ワインの選択を誤れば、客人は「わかってないなー」と思うでしょうし、食材の取り合わせや次の皿を出すタイミング、食器の価値のひとつひとつまで見られていますから、主人が気合いをいれたパーティーには不可欠の存在だったと考えられます。

貴族の邸宅において、家政とはマネジメントなのがよくわかります。恐らく執事として優秀な人材は、企業の管理職としての実務能力も高かったことでしょう。

当主が領地を留守にしてロンドンなどに出かけることがあれば、執事は主人の代理としてお屋敷の一切を任されることになります。漫画やアニメで描かれる執事からは予想できないほど重責を担う職業だったのです。

とはいえ、現代ではこうした執事も絶滅危惧種だといいます。これだけのマネジメント能力を備えた人材は得難いのです。

本書で引用されるノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『日の名残り』は、親子二代にわたって執事を務める人物がメインだそうです。是非読んでみたくなりました。このように英文学の引用が多いのもこの本の特徴です。

以下、その小説に登場する執事の主人公・スティーヴンスが「品格」について述べている文章を引用しておきます。長くなりますが、執事としての心構えそのもののような、背筋の伸びる金言です。

品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって、執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべがはがれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。外部の出来事には──それがどれほど意外でも、恐ろしくても、腹立たしくても──動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。それを脱ぐのは、みずから脱ごうと思ったとき以外にはなく、それは自分が完全に一人だけのときにかぎられます。まさに「品格」の問題なのです。

カズオ・イシグロ『日の名残り』

育児のプロとしてのナニー

貴族の当主が幼少の頃に最も身近な人物は、母親ではなく「ナニー」だといいます。聞いたことがない単語ですが、乳離れ以後の乳母(語義矛盾かもしれませんが)のようなものです。

貴族の夫人は出産しても、「胸の形が崩れる」やら「社交に忙しい」やらで、母乳を与えることもオムツを替えることも乳母に任せっきりだそうです。彼氏にとって私は乳母なのではないか。そして、乳離れ以後の乳母、つまり貴族の令息が卒乳してから貴族の子弟の面倒を見るのがこのナニーという使用人です。卒乳できていないので私はナニーではないようだ

ナニーは子供の単なる世話係や監視役などではありません。お屋敷の中で規則正しい生活を守らせ、きちんと喋らせ、行儀振る舞いを厳しくしつける役目を負っています。立派な貴族をつくる育児と教育のプロなのです。

家の中でほとんど母親代理の働きをしますから、かのウィンストン・チャーチルは成人してからも母親と同じくらいの愛情をナニーに向けていたといいます。(これは中公新書『チャーチル』で読んだ内容のうろ覚え)

田舎のストレスフルなパーティー

それにしても、貴族は家事も育児もアウトソーシングしまくりですね。スープストックやマクドナルドで食事を済ませて料理の手間を省くのとはわけが違います。

さて、黄金期の貴族は、それこそ莫大な財産によって家の中のことも領地のことも全て使用人に任せていました。そこまでして膨大な暇を手に入れた貴族は、一体、どのような暮らしを送ったのでしょうか。

かつての貴族は1年のうち3分の2は田舎の領地に構えたカントリーハウスで暮らしていました。しかし、田舎暮らしは退屈です。だからこそ、頻繁にパーティーを催しました。

本格的なパーティーには数十人の客が集まり、カントリーハウスは交通の便が悪い立地だったので、そのまま招待客が一泊するケースが多かったそうです。60人の客とその従者、メイド、運転手が泊まれるだけの部屋を備えたカントリーハウスもあったといいます。

パーティーで遊んでばかりでは気が狂うのでは、と思いそうですが、そのための準備は並大抵の苦労ではないようで、刺激にあふれていたそうです。

具体的には、招待客のリスト作成、招待状の発送、ディナーのメニューのチェック、宿泊用の部屋の点検、自らの衣裳選び、当日の席の組み合わせ、誰と誰を引き合わせるか、食事の合間にどんなゲームをして楽しむか……などなど、作業の内訳を見ると貴族よりも執事が過労死スレスレで奔走するながら目に見えてきます。田舎の生活の単調さをむしろ軽減してくれる大事なイベントでした。近いものだと文化祭の準備かもしれません。年一回ではなく頻繁にそのイベントが起きるのですから、なるほど確かに刺激や娯楽の少ない田舎の領地にいても生活に潤いができるかも。

私も友達の誕生日パーティーを企画したことがありますが、どうやらそんなものとは比較できないほどのストレスがあったと見受けられます。プライベートの付き合いだけではなくパブリックな人間関係を巻き込んだり、一回一回に結婚式のような家のプライドを懸けていたりすれば、パーティー企画サイドの精神的負担は想像を絶するものになりそうです。つまり、貴族のパーティーとは、高貴なる暇人たちの退屈を紛らわせるには、あまりにストレスフルなイベントだったということになります。

とはいえ、今日の英国貴族たちは何十人もの客を集めてパーティーを催す機会はだいぶ減り、数人の人を呼ぶ小規模なものになったとのこと。世知辛いですね。

貴族のアーバンライフ

かつての貴族は1年のうち3分の2は田舎のカントリーハウスで暮らしていたと書きました。そして、ここからは残り3分の1の生活です。

4月から7月頃は「シーズン」と呼ばれており、田舎に引きこもっていた貴族たちがこぞってロンドンに押し寄せました。都会の社交界が賑わう季節だったのです。この時期のロンドンでは、毎晩のように華麗なる舞踏会が行われ、ファッションショーに多くの人が集まり、ウィンブルドンのテニスなども行われました。

私たちが貴族の生活としてイメージするのは、カントリーハウスのパーティーよりも、この「シーズン」が近いかもしれません。ちなみに、舞踏会で欲求不満な伯爵令嬢が名門貴族の若い男の子に色目を使って、「一夜の気の迷い」で罪悪感を抱かせてしまうような私好みの記述は、見当たりませんでした。惜しい。

17世紀初頭には「シーズン」という言葉が定着し始め、数ヶ月のロンドン滞在のために貴族たちは豪華なタウンハウスと呼ばれる邸宅を構えました。現在では新興住宅街に並ぶ庶民用住宅の意味に変わったそうですが、18世紀から19世紀における貴族の邸宅としてのタウンハウスは、ほとんど宮殿ともいうべき立派な建物でした。

現在では国王が暮らしているバッキンガム宮殿も、元はバッキンガム公爵所有のタウンハウスだったというのですから驚きです。なお、没落した貴族がタウンハウスを手放し、現在ではホテルとして活用されている例もあるといいます。

自分の領地で田舎暮らしが基本だった貴族も、時代の経過とともに都会の魅力に抗えず、むしろロンドンのタウンハウスを足場として政治活動や社交に勤しむことが多くなっていきます。マッチングアプリがない時代でも、出会いの機会は都会の方が圧倒的に恵まれているので、これは致し方ないのかもしれません。地元にいるとあれこれ噂が広まる可能性も高いので身動きしにくいです。個人的にはワンナイトをエンジョイするなら都会一択だと思います。

さて、以上が『イギリス貴族』第2章のまとめとなります。次回は第3章「貴族の教育」の読書ノートを作ります。我が子を名門に入学させたい親御さんたち必見のノートになるかも?


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