時代に即して価値観をアップデートしていく事も確かに大事だけど、それを外側にも強いるようになったら待っているのは相互監視と同調圧力に満ち満ちた窮屈な世界だよなぁとつくづく感じる。自分自身が弛まずにいる事に精一杯で、他人のあり方を騒ぎ立てたりご機嫌伺いに気を揉めるほど暇じゃないんだ。
どうしてスキって一回しか押せないんだろう、と少しのもどかしさを感じつつハートマーク灯した。出来ることなら大連打からの大乱舞で抱えきれないほどに贈りたいけど叶わないから画面に灯せる軽やかさに託して。
くたびれたおして帰宅したのでバリー・ユアグロー『三舞台サーカス』を読んだ。「つらい一日を終えて家に帰り、バスルームに入ると、浴槽がカブで一杯になっている。」という一文から始まる2ページの掌編。世界で一番と言っても過言ではないぐらい好きな一行目。
動揺や哀しみを感じていても可笑しかったり楽しかったりして笑う事は普通に出来るのだと11年ぐらいぶりに思い出した。知ってた。心が水面のようなものだとして、こんなに揺らいでるのに凪ぐ日が本当に来るんだろうかと他人事のように思う。窓の向こう側を伝い落ちる雨粒が照明で瞬いて綺麗。
体温ごと言葉に託せますように。私の両手は背中を押す事も撫でる事も出来るのだと信じてもらえますように。最後まで一緒に歩いて行けますように。
起こるはずだったかもしれない未来を想像して今と重ね合わせてその相違を分析出来る程度には回復したけど不意に抉られた傷が痛むのを許せるかというのはまた別の話。安心して推せるという表現が自分から飛び出す事実が何よりも雄弁に傷の深さを語ってもいるので笑えもしない。
騙されてあげたいけどこれほどの痛みを抱えてもなお冷静や達観を貫き続ける事に不意に虚しさを感じるのも確かで、だからこそ眼差しの強さに救われるし期待もしている。ここはまだ闇夜の底だけど、剥き出す感情までひっくるめてその存在に光を視たのだ。
なにかが首のまわりに、掃除婦のための手引き書、若者たち、キス・キス、極北、宮沢賢治の真実、持続可能な魂の利用。現時点での積読本を並べてみました。以前より書く事や観る事に時間を使っていて読む速度が落ちてるのに買う頻度は相変わらず故に増えるばかり。未来の自分(来週後半あたり)に期待。