【真実は必ずしも求められていない】 昨今のニュースを見ていると、 真実は必ずしも求められていないと感じます。 それよりも、どの意見に共感できるか?コメントの多数決合戦のよう。 SNSであっても、インパクトのある言葉、見出しが溢れている。 もはや、エンターテインメントだ。
相手にされたと感じたことは、実はもれなく、自分もどこかで誰かに同じことをしてしまっている😱 まさかだが間違いない。 特に家族や身内、近しい人にしていることが、パートナーやそれに当たる近しい相手から返ってきたりする。 自分がしたことしか返ってこない😂 真実は、自分しかいない。
言論統制。 ジワリ、ジワリとだけど とても激しくなっているね。 平気で気に入らないと、オフィシャルなニュースサイト迄凍結する。 更に個人も、誹謗中傷で懲役刑を議論ってか。 誹謗中傷って何だろね。 悪い事をしておいて、批判されても被害者ツラ。 かなり、面白い時代展開だね。
【現実とは錯覚の世界】 自分が見てる世界 自分の頭の中にある思い 自分が考えてる感じてること のすべてが錯覚で 自分が見えてない世界 自分の頭にはない考え 自分が考えたこともないこと 自分が感じたこともない感覚 の方がホンマやとしたら? っていう疑問から全ての謎解きが始まる
当ラボの研究テーマの一つに「真実はどうやって決まるのか」というものがある。これに対して『真実は民主主義によって決まる』という仮説を立ててみた。 みなさんの検証をお待ちしております。
だれもあなたを嫌ってや しない あなたが あなたを嫌っているだけ ただ それだけなんだ
厚労省のホームページより ワイドショーを信じるって。。。 君の親はかなりヤバいね。 そして、君は とても悲劇な生活を余儀なくされてるんだね。 可哀想に。