人を「かっこいい」って生まれて初めて思った。原発を止めた裁判長を観て。
2023.05.20
生活クラブの自然エネルギー委員会の全体企画「原発を止めた裁判長」の上映会が昨日5/20大阪ドーンセンターで行われた。
オレンジのベストを着て一丁前に委員として参加。
前視聴なく、昨日を迎えた。
今、購入したパンフレットを読み終わった。
今まで購入した映画パンフとは比べ物にならないほど、細部までが「命吹き込まれた」物と感じた。価値ある600円。
生なましい。
2ページ目を紹介する。
わたしの感想など必要ない。
読んだあなたが感じて欲しい。
樋口元裁判長の判決の大きな根源は「当たり前にあること」。
わかりやすいこと。
大飯原発差し止めの判決文の最後の一言に感動した「筋違い」。
最近とても感じる「ズレ」、本当に色々スジが違ってる。
長いけど「主文」打ち込みます!
全部黒字になる。
簡単に言うと「わたし達が生きることを守るが一番の国富」
いくら日々何かを積み上げたとしても、原発事故で全て無くなるのだと。
とにかくわかりやすい。
裁判人は文系。
難しいことを持ち出されたら、わたしたちと同じようにそっちに絡め取られるだけ。
論点は「危険か、安全か」なのだ、
全く!
「ガル」というマグニチュードと震度とは別の耐震基準ちを知ったが、うそ!って内容。
詳しくは全く書けないが、パンフ記載の説明書きを転じると【ガルは、観測地点での振動の激しさ・加速度を表す単位。建造物の耐震性能を表す単位としても使われている。例えば原発の耐震設計では、基準値震動650ガルというように示される。
とある。
で、311のガルは「2933ガル」。
あと、映画の中にあったのが、入れ物は耐震でも、中の配管とか連結しているものがそうではないとか。
本来あってはならない奇跡が起きて、2号機と4号機の爆発がなかったのは、これらのおかげだそうだ。
安全?
何を基準に?
かっこいいい人を見た。
人生で初めて「人をかっこいい」と思った。(ミーハー心0️⃣なんですワタシ)
この人たちの生き方、地に足つけて「生きてる命の迸る姿」がかっこいいのだ。
ソーラーシェリングで生き直し、地域を巻き込んでどっしどっしと。近藤さん。
大内親子や塚田さん。
全国の反原発に関わるボランティアで集結した弁護士団。
すっげー、でっかい人たち。
地球温暖化のせいか、直射日光の厳しさで牛が夏場にお乳が出なくなるそう。
野菜もくたびれるそんな中、畑にあるソーラの日陰で生き延びられるのだって。
塚田さんの一言に痺れた。
僕の畑で採れた電気がいい!って言ってもらえるように。
畑で採れた電気。
すごくないですか?
このフレーズが21歳の若者が言うんです!
映画最後に近藤さんが喉を詰まらせて言うこの言葉にグッときた。
絶望じゃなくて希望を伝える仕事を。
彼は一旦絶望し農業を辞めた。
そこからそこからの「今」。
簡単じゃない道のりを歩んで北彼の笑顔は「命」そのものだった。
そこには
生きていた人の息吹があった。
日常が継続することがどんなに幸せなことか。
つい、忘れがちなわたしたち愚かなニンゲンは、地球規模で知らしめられる。
でも、わざわざそんな物騒なもんを作って沿わせることは、無用だ。
最後に、わたしがグループセッションで話したことを書いて終わりにします。
難しいことはわからない。
でも、わたしたちはその命を奪われるために子を産み育てているのではない、
命を賭けて命を産み出し、両の手で抱き、育むのは、その命を大切に繋げていくため。
どこかの誰かに差し出したり奪われるためでは決してない。
母として、人として、地球の生き物として、当たり前に思うことを当たり前に大きな声で言うこと。
わたしのスタンスはここです。
もう一度観たい。