とまり木
水曜日が休みというのは、なかなか嬉しい。毎週こうだったらいいのに、なんて怠け者精神だろうか。
みなさんは、何をして過ごされただろう。
今日は、やる気のない1日。何もしない1日だった。
彼岸の小鳥殺しとは、よく言ったものだ。
夫がタイヤをノーマルに替える傍らで、雪はずんずんと降った。
週の真ん中、春分の日。湿っぽく、大粒の雪やあられが、時には雷や強風とともに吹き荒れた。薄暗く、寒い日だ。
インフルエンザ以来、すっかり気力も体力も落ちてしまった私は、朝も遅くまで布団に潜り、ふわふわを満喫。
ゆるりと起きて、朝ご飯をぼやっと食べたら、後はひたすら本を読んでいた。
正直いうと、言葉的に少し読みにくく、状況が見えにくい表現がままあった。
でも、戦後最大の思想家と呼ばれた吉本隆明の娘とあって、どこか不思議で気になる節がある。著者、ハルノ宵子から見た吉本隆明は、どんな人だろう。家族からしか知り得ない人物像がありそうだ。
そんなことで、遅読家の私にしては珍しく、夢中になって1日で読み終えた。
実際、なかなか壮絶な暮らしをされていたことは読み取れた。
吉本隆明の本を全て読んだわけではないが、印象としてはとても難しく、少し読んだだけでは、理解できない言葉が多かった。でもどうにか読み進めていくと、なんとなく吉本節に慣れていき、しばらくして『あ、こんなことを言っているのかも』とその場面を通り過ぎてから理解に至るようなこともあった。その考えの深さたるや、恐ろしいほどの鋭さを感じたものだ。
改めて、読み直してみたいと思えた。
どの家族にも不可解で理不尽で、苦々しい歴史は、多少なりともあるのかもしれない。
それでも、子どもは育つし、学んでいくし、独自の道を進んでいく。
子どもたちにとって、私達夫婦は一体どのように写るのか、少し気になった。将来、どんな風に解釈され、自分の育った環境を受け入れていくのか。
恐らくそれは、彼らにとっての事実であり、私にとっての事実とは異なるだろう。
ということは、私の理解する両親は、両親の思うお互いの関係性とは、また違っているはずだ。
面と向かって、お母さんたちってこうでしょう?なんて、言ってみる勇気は到底ないし、その必要性はないと思う。
しかし、どこがどんな風に私と認識がズレているのか、ちょっと知りたくもなった。
家族のことを文字に書き起こすというのは、恐ろしいことである分、ものすごい説得力と存在感を放つことなのだと『隆明だもの』を読んで痛感した。
何もしなかった1日という気がしたが、夕方になり、にわかに焦り始め、お風呂掃除とトイレ掃除をした。
子どもの前髪も切った。
家族でボードゲームもした。
平気で負けた。
しかも、結局、本を1冊読み切ったのだから、これは案外、充実したのではないか。
週の中休み。
天気が悪かったからこそ、達成できたことかもしれない。
これはこれで天から与えられた一つの恵みとして感謝したい。
まだ頭は半分ぼやけているが、春の訪れと共に私は再起していけるのか。
なんて、いちいち深く考えるのは悪い癖だ。
これは、とある凡人の1日。
たまには立ち止まったっていい。