無知は人間が生きる上で必ず付随するもの、無知の人間は切っても切り離せない 無知を悪と位置付けるならば、すべての人間は悪であるという前提が確立してしまう 少なくとも日本では人間は生まれながらにして悪だとしていないはず 無知を悪とするのは日本人のかつての在り方ではないはずだと思う
『日本とは』と言っても、一言じゃ難しい。 日本人は軽く楽しむって方向が苦手かも。 話を難しくしたり話の腰を折ったりする傾向がある。楽しむ時も周囲との距離感を重視。はめをはずすとなると極端になってしまう。心優しい風で実は残酷。どこか屈折。傍観者だけど参加はしたい。責任もうやむやに。
日本人が今までやってきた海外の復興支援のようなことを自国に行うことはできないのだろうか? 希望なきところに希望を漏らした日本人の話はそれなりに多い、その精神と姿勢を自国のために使う人が現れないものだろうか? 文化でも歴史でもなく、人を助けたいという思いを中心に置けないだろうか
日本人が和や協力し合うことを大切にしてきたのはそれが無いと昔は生きられなかったから。逆に今の時代は和が無くても金と技術があれば生きていけるようになったから。和が廃れてきてしまったのではないかと思う 必要だと思った者が不要だと気付いたときは人はそれをあっさりと捨てやすい一面もある
最良の種と最悪の欠落を同時に持っているのが日本人というものだろうか どちらも使い方次第なところはある。最良というものも驕りや楽観視の材料にされれば腐敗を生み。最悪は意気地と重なれば、行動と思考を促すものになる。 今の日本人がどちらも下手くそにしか使えていないのが最大の問題