見出し画像

日本人とは

オーストラリアに渡って、色んな国出身の人に会えた事が私のとても良い経験でした。

私が日本人という事を知ると、

日本人とは〇〇

というように、色んなイメージを持っている人がその気持ちで接してくる事がありました。

それは良いイメージから、悪いイメージまで色々あります。

そのイメージの背景には、伝聞して日本人について聞いた話から判断している事も有れば自分が過去日本人に接した経験からやエンタメなどから想像したただのイメージの場合など様々でした。

それらのイメージによって、日本人とは〇〇というような事を言われるたびに、当たり前だけど

あー、自分は日本人なんだよなあ

と実感しました。

日本に産まれて住んでいて自分は日本人という事実は、当たり前すぎてあまり実感はしないでしょう。

しかし、海外在住すると自分はその国の人にとっては外国人であるために日本人である事をかなり実感することになります。

だけれど、その一方でその日本人は〇〇というイメージを話されるたびに違和感が私の中で生じました。

あまり話したくないのですが、態度が悪い日本人が見下して接したことで日本人に対し悪いイメージを持ちその為に最初から嫌がらせをしてくる人もいました。

(あまりにいじめてくるので理由を聞いたら知った事実で、仲良くなる事は出来ました。)

また、日本人はこうであると決めつけて一種のマニュアルのような態度で接されたことで嫌な気分になった事もあります。

(向こうには、何も悪気は無いため気にしない様に努めましたが…)

私は、

日本人だからこうだよね!

と決めつけて接される事は嫌いなのでいつも私は日本人だけどその前に1人の人なんだよという事を相手に分かってもらえる様にする為にコミュニケーションしてきました。

相手がどんな人か知ろうともせずに、勝手に所属から決めつけて見ようともせず接する事は、人間関係を築く上で非常に変な事だと身を持って実感したからです。

日本人だから〇〇という予想は、あっている事もあれば間違っていることもありました。

私は日本人だから、長年の習慣から泥がついたような靴で家にあがられるのは嫌いです。

しかし、

米がないと生きられなく、魚が好きで寿司をしょっちゅう食べていません。

毎日、パンやパスタだけ食べていても平気だし魚より肉が好きです。

それに、嫌な事も我慢強く耐える事が出来るなんてまっぴら。

日本人だからって、嫌な事でも文句も言わず我慢しない。私は、そんなにどMではないので嫌な事は事情とその気分が悪い事の理由と共に説明したい。

私は日本人だけど、本音を言わずニコニコしていて、意見は言わないなんて事はないです。

私は嫌な事を押し付けられたら、嫌だと理由を持って言いたいんです。

自分とは違う事を“日本人だからこうなはずなのに”という感じで決めつけられた時に感じた違和感。そして、それを元にコミュニケーションされても楽しくなかったです。

だからこそ、私は色んな国から来た人達と会話する時に勝手に決めつけてコミュニケーションする事を絶対にしないようにしようと自分の中でルールを決めました。

人の好みや性格。

どんな事が好きか嫌いか。

また、こうやったりこう言えば、相手は〇〇人だからこう思うだろう。

そんな予測は、ただの自分の経験からに基づいた主観に他ならなく相手に当てはまるかどうかなんて定かではない。

それは、私自身にも当てはまらなかった事からも事実。

どこのオリエント(地域)にいるかで、その人が決まる。そういう考え方は非常に危ういと思います。

みんな違うのが当然、最初からそう考えてその人自身に向き合う事を私はしていきたいしもう少しそういう人が増えて欲しい。

日本人とはとか言う前に、1人の人です。
それは、どの国の人にも当てはまる。

ラベル付けは一種の区別。それをしすぎる事は、疑問。

それって、区別する事だから知らないうちに偏見や差別が生まれませんか?

もう少し考える人が増えて欲しい。。

自分が嫌な経験をした事から強くそう思っています


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?