はじめに #1
机に座ることが嫌いだ。体を動かすことが好きで子供の頃からじっと座ってテレビを見ることすら苦手だった。
テレビを見ながら立ち上がり飛び跳ねて、自分の感情の思うままに動いていた。
大人になった今、そんな事はもうしないけれど、三つ子の魂百までで、基本は変わっていない。私の考えていることや行っていることをブログに書き、発信したいとずっと思っていたのに、机にじっと座ることができず、今日まで重い腰が上がらなかった。
和文化が好きだ。「日本」を感じるものを学んだり、お稽古をしたり、家で実践したりしている。と同時に、日本についての民俗学を独学で学び、頭と身体を通して身についたことをまとめ、「日本人の食と祈り」というコンテンツにしてyoutubeで発信している。
和のお稽古は豊かに生きることを学ぶ場であり、「生きる」こととは生活そのものである。つまり日常生活のためにお稽古はあるのだ。
しかし「生活」は教えるものではない。先生方もそんなことを生徒から求められてもいない。だから残念なことに、専門分野に集中し、その範囲内でお稽古の時間は終了してしまう。それをどう生活に活かすかは、すべからく生徒に委ねられてしまう。
日本の生活文化は、自然の遠い都市部においてぶつ切りになって商品と化し、食事処で、旅館で、寺社で、祭りなどの折々のイベントで、楽しむ特別な非日常になってしまっていて、我々の日常生活に寄り添ってくれる事はほとんどない。マンションに住み、電車でビル群に通い、帰宅後は家事に追われる。そこに目の前の自然の移り変わりや、食卓の上のいのち、「手を使い生きていく暮らし」に心を配る余裕は微塵もない。
私自身も以前は、 忙しさのあまり「もっとラクで手間のかからないように」ということしか考えなくなってしまい、「時短」や「手間いらず」に自分が埋め尽くされて、心が砂漠になってしまった時期があった。頭と身体、その両方が自分であるということを忘れていたのかもしれない。
自分ではない何者かになりたかった。
日本の生活文化とは、茶道や懐石のような本格的なものでなくても、かつては各々が大いなる自然や仕事に向き合う中で、 日々何気なく触れていたものだ。
自然の中でその恵みを採取して神様・ご先祖様にお供えしたり、調理して食卓に並べたり、花や木の実をちょっとした空間にしつらえて、自然を感じたり感謝したり、というようなものだ。そしてその生活文化は、毎年や毎日繰り返す中で、子供や孫に自然と伝えられたものだったのだろうと思う。 風前の灯火ではあるが、家庭で行われる、お盆やお正月の風習もそれに当たる。
学びとは、教室の中や本の上だけ終わるものではない。そこで学んだことを踏まえ、それに行動が伴ってこそ本物の学びになると思う。さらにその行動が、次の学びへの好奇心を育むのだ。
文武両道という言葉があるが、養老孟司氏によると、それは学問と武術という分かれたものではなく、学んだことを実践し、また学ぶということらしい。(注1)知行合一(ちこうごういつ)とも言う。
私も頭で学んだことを、日常生活で手を動かし実践しながら文武両道•知行合一で生きていきたいと思っている。それは小さな気づきを日々もたらしてくれ、人生を生きるに足るものにしてくれる。
学びと実践、そして気づきを書き残すために、このブログを始めることとする。
(注1)バカの壁 養老孟司著(新潮新書)P94
日本人の食と祈り
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