息するように出来ることをやれ!と先人達は言う。自分のそれが他の人のメインでない機能より下だった場合はどうしたら良いんだろうと以前は思っていた。しかし、凡庸という海に生きる大多数のそれは劇的な差はなく、あるのは自分への許可の差だけなのかもしれない。何かを得ているのは許している者だ。
息をするように絵を描いていた。授業中に、電話中に、必ず手は紙の上を動いていた。何を描くでもなくただ何かグネグネと絵になっていた。受験勉強でその動きは鈍くなり、でも心の叫びみたいな絵はずっと描いていた。社会人になるともう、空から降るような絵は描けなくなっていた。描き方が分からない。