信仰と文芸 信仰が花に咲いたら、良き文芸が生れる。 文芸が実を結んだら、信仰が美的状態に発現する。そういう信仰が大乗の信だ。 そういう文芸が惇善の文だ。 しかるを信仰がかたくなで隠居したり、文芸がだらけて飛上ってる間は、とても角ても闇の夜だ。 「天業民報」大正14年6月14日
#高山樗牛(たかやま ちょぎゅう、1871年2月28日〈明治4年1月10日〉- 1902年〈明治35年〉12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎(りんじろう)。Wikipedia より #国柱会 会員
妹トシの死を経た兄宮沢賢治が「すべてのいきもののほんたうの幸福」を追い求めるべきだとする物語である〔手紙四〕を配ったことも、国柱会の定める勤行式『妙行正軌』の定める「教書」として賢治におけるトシへの追善を意図したものだったと検証した。 超意訳 宮沢賢治における追善 牧野静
宮沢賢治の、雨ニモマケズ手帳には、81-82頁 に調息秘術 とある。これは国柱会の勤行式「妙行正軌」、道場観、奉請の項そのまま。宮沢賢治は生涯国柱会信仰が自然と考えます。雨ニモマケズ手帳の先行研究は、『雨ニモマケズ手帳』新考、小倉豊文著が詳しいです。
そもそも浄土宗の父親に反発して、法華経のとになった宮澤賢治。 彼の物語は、西洋とキリスト教の影響もあるけれど、根本思想は【法華経】そのもの(上手く説明できない)。 因みに、創価学会など、法華経を自分達の利権に使うようなエセ法華経反日団体ではない。日本国ありの法華経である。