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宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読~読書記録320~

宗教学者の鎌田東二先生が読み解く宮沢賢治の世界だ。


鎌田 東二は、日本の哲学者、宗教学者。学位は、博士。京都大学名誉教授。放送大学客員教授、日本臨床宗教師会副会長。 神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。

未完の美しい物語「銀河鉄道の夜」は,多くの詩人たちにインパクトを与え,想像力を喚起してきた.宗教学者である著者は,ジョバンニの銀河体験をシャーマンの脱魂体験や宇宙体験と結びつけ,独自の読解を試みる.賢治の銀河意識から見た人間とは何か.そして,「ほんたうのさいはひ」とは何か.賢治の思想を大胆に読み直す。(出版社紹介文より)

私が鎌田先生を知ったのは、こちらのページであった。
銀河鉄道の夜はキリスト教的な部分もある!と自分でさも発見したような気分でいたのだった。
私が中高生で「銀河鉄道の夜」を読んだ時にはタイタニック号の沈没事故など全く知らず、1997年のレオナルド・ディカプリオの映画で知ったという情弱ぶりであった。
今読むと、「ああ、このアメリカ人の天国に行く人たちはタイタニック号沈没で亡くなった人たちだな」とわかるのだ。

そんなことよりも、本書に戻したい。

宮沢賢治は鳥の方向感覚と言葉を持つ鳥シャーマンである、というのがわたしの基本的な宮沢賢治観である。鳥シャーマンは、風の流れを読み、天の気と地の気を察知し、その気息を気脈に沿って飛翔の方向を定め、天と地を行き来し、更には異次元界に参入する。
原始シャーマンには、鳥シャーマンと蛇シャーマンの二種類があったとわたしは考えているが、その原始シャーマン二種類を定立するなら、宮沢賢治は鳥シャーマンの類型の典型的な末裔であるといえよう。
飛翔する事の、旅する事の孤独と栄光。宇宙の真理と世界の幸福を求めてやまない深い欲動。いのちの意味と価値を探求し、実現せずにはいられない衝迫。
「銀河鉄道の夜」の大きな魅力は、このような求道的ともいえる探求の起こってくる根幹にジョバンニの深い孤独感があると言う点だ。(本書より)

ジョバンニは宮沢賢治自身なのだろうか?
銀河鉄道の夜における実在感覚は、宮沢賢治が信仰した法華経の「久遠の本仏」感から来ているようだ。

「久遠本仏」とは、如来の寿命が無限であることを説くもので、如来寿量品をはじめとする『法華経』後半の主題である。 釈尊は入滅したといわれるが、実はそうではない。 無限の過去において悟り、それ以来無数の衆生を教え導き、無限の未来においても存在し続ける。久遠とは永遠ということだ。

ジョバンニの「ぼくは本当につらいなあ」も、ある程度、久遠本仏の基礎がわからないと理解出来ないのだなと改めて知るのだった。

タイタニック号で溺れ死んだと思われる一行が乗り込み、本当の神様の話になる。
この人たちは「ここで降りなくちゃいけない」「天国に行けない」を言うが、キリスト教の信仰である永遠の命、あの世である。
ジョバンニを通して宮沢賢治が言おうとしているのは、日蓮が仏教的理想世界論として問題提起した「寂光浄土」を建設するということであり、国柱会の田中智学の提唱する「食の霊化」によって「道本位」の生き方に「世界霊化」を進めていくことらしい。
銀河鉄道の夜の冒頭に出て来る「僕の先生」とは、どうやら国柱会の誰からしいのだ。


じゃっこうじょうど【寂光浄土】とは、仏の住む安寧あんねいで清らかな世界。 また、すべての煩悩ぼんのう(成仏のさまたげとなる心の働き)から解放された究極の悟りの境地。 「寂光」は、真理の静けさと真智の光。 「浄土」は、汚れのない、清らかで美しい国。


宮沢賢治は、東京に出た時に、国柱会に入信したらしい。その後、すぐに抜けている。それは花巻にある宮沢賢治記念館にて知った。

とにかく、銀河鉄道の夜は深すぎる。色々な宗教知識がある人と、ただの童話と捉える人とでは読み方が全く変わってくるだろう。


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