第5回 宮沢賢治:宮沢家の浄土真宗信仰②
『宗教二世』的な賢治の浄土真宗信仰
hamagaki 氏のブログ「宮沢賢治の詩の世界」
筆者は、現時点宮沢賢治の宗教紀伝を中心に記している。そこでTwitter からだが、非常に鋭く宮沢賢治について個人的に論考しているブログを見つけた。(2023年現在、宮沢賢治学会の副代表理事である。)
ブログ「宮沢賢治の詩の世界」である。著作者hamagaki氏は、多大な時間と労力をかけており、その論考には深い宮沢賢治への愛を見出すことができる。自分からすれば、専門家、先生です。宮沢賢治の表層を漂う筆者にとっては指針となるサイトで、今後十二分に学んでいきたい。早く学びたい方にはオススメする。
宮沢賢治の「恐ろしさ」
2022年10月28日のブログ「親子の宗教意識」は丁度現時点の筆者のテーマと重なるので引用したい。長い引用となるが、御容赦いただきたい。問題は宮沢賢治の「恐ろしさ」である。
妹トシにも繋がる「恐ろしさ」
以上の長い引用からは、父政次郎当時宮沢家が持っていた宗教意識はプラス要素だけでなく、マイナス要素「得たいの知れない重荷」を含んだものとなり賢治の不安や恐れとなっていったのではないかという栗原敦氏の指摘は重く受け止めたい。ここで、筆者はこれが賢治だけでなく、最愛の妹トシも同じ「得たいの知れない重荷」を抱えていたのではないか、と考えてみたい。
宮沢賢治の祖父喜助は孫のトシから「真面目に信仰するように」と説教する手紙を送り付けられたりするくらいで、相当に心もとないものだったと思われる。時代として明治の家父長制の中では極めて稀なエピソードと考えざるを得ないのではないか。これは、トシが父政次郎から受けた宗教的抑圧ではないだろうか。このような宗教的抑圧が父政次郎、宮沢家にあったのではないかと考察する。
近代真宗対日蓮主義
筆者が今、読書中の本に、「日蓮主義とはなんだったのか」がある。
この中で、宮沢賢治は、近角常観、暁烏敏、島地大等などから近代真宗を学び親子の対立は、浄土真宗対日蓮宗と捉えるのではなく、近代真宗対日蓮主義の対立と捉えるべきではないか、という部分があり興味が湧いた。より丁寧に浄土真宗を理解する必要があるらしい。
近代真宗を必要とした政次郎は、結果過剰な観念を産み、賢治またトシに宗教的抑圧を与え「宗教二世」として生きていかざるを得ない環境をつくったといえよう。そして、対応としてあったのは日蓮主義の国柱会であり、無宗教ではなかった。筆者は日蓮主義の理解においては第二次世界大戦の反動で、日蓮主義への整理がまだまだされていないと考える。日蓮主義についてもより丁寧に理解していきたい。また、なぜ父政治郎が浄土真宗信仰を必要としたかも、併せて今後の課題とする。
終わりに
最後に誤解のないように述べたいのであるが、筆者は浄土真宗、また日蓮主義、日蓮宗を非難したいわけではない。篤信家を揶揄するものではない。一つの仮説を立てたものである。自身の信仰を含めて宗教を丁寧に考えていきたい。個人的エピソードになるが、大学のゼミはフランス現代哲学で先生は、「哲学には救いがない」と言っていたことをよく思い出す。最後人は何らかのかたちで宗教を求めるものではないだろうか。このような気持ちを大切にして宮沢賢治を読み解いていきたい。
参考文献
ブログ「宮沢賢治の詩の世界」hamagaki氏 2022/11/13時点
『日蓮主義とはなんだったのか』
大谷栄一 講談社
『宮沢賢治の宗教世界』
大島宏之 北辰社
『宮沢賢治全集』
ちくま文庫
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