天正3年(1575)12月27日は家康が信長の命令により三河大樹寺で伯父の水野信元を斬った日。信長の家臣佐久間信盛による讒言により武田との内通を疑われた。家康は石川数正や平岩親吉らを送り信元を斬った。桶狭間合戦後に家康を落ち延びさせ信長との同盟を仲介したのが信元だったといわれる。
天正元年(1573)11月16日は若江城の三好義継が信長の家臣佐久間信盛らに攻められ自害した日。義継は信長以前に京を押さえた伯父長慶の養子。信長の上洛にともない従うが信長と対立した将軍足利義昭を匿った責任を問われ最期は重臣の裏切りで追い詰められた。匿った義兄の義昭は直前に脱出。