muto
ビジネスマン向けの古今東西の名言金言を集めました。
マーケティング戦略に関するテーマについての書いた記事のマガジンです。
WEBサイト作成やブログ運営のノウハウや関連情報をまとめています。
ホームページで、お店や企業の情報を公開する目的は 集客、認知度UP、求人などが挙げられます。 ホームページの種類1、無料ブログ → 直接の集客には向かない。 2、独自ドメインブログ → 直接の集客には向かない。 3、CMSツールを利用したサイト → デジタルコンテンツの作成、編集、公開、保存を一括管理するシステムで作成したサイト。WordPressはCMSの一種で無料版もあるが使うなら有料版が望ましい。 4、専門のサイト制作業者に依頼し作成してもらったサイト 5、市販のサイ
noteでWebマーケティング前回投稿した記事でも少し触れましたが、noteを活用して「TANOSHIKA HPサイト作成サイト」についてWebマーケティングをしています。 サイト作成ノウハウ集サイト作成ノウハウ集を記事にしました。 TANOSHIKA HP作成サイトに掲載していることを記事にしています。 ・ホームページ企画 ・ホームページ作成 ・Webマーケティング ・Webライティング ・SEO対策 などについて記事にまとめて投稿しました。 参考図書 以下の図書を参
江戸初期の儒学者 伊藤仁斎●伊藤仁斎のこの言葉に出てくる孔明とは、中国の三国時代に劉備に仕えた名宰相、諸葛孔明のことだ。いわんとするところは、人には長所、短所がある。その長所を生かしていくことこそ、人を生かし、自分も生きる道である、ということだ。仁斎の書物を通して師である孔子も「備わらんこと一人に求むることなかれ」と諭している。 ●だから、人を使うときには、それぞれその人の得意とするところを見つけ、その得意とするところを生かしていくのがよい、というわけだ。興銀元頭取河上弘は
イギリスの作家 スマイルズ●プランニングが仕事の根本要素であり、円満に成就させるもとだと教えている。いくらよい着眼であっても、見事な計画が伴わなければ仕事は完成しない。 ●実は、スマイルズのこの言葉は彼の代表作である『自助論』(セルフ・ヘルプ)の中に出てくる言葉なのだが、日本では中村正直(敬宇)の訳で『西国立志編』として出版され、明治時代の若者に大変愛読されている。 ●この本は、「天は自ら助くる者を助く」という独立独行の精神を思想的根幹とした、欧米史上有名な三百余人の成功
株式会社SPEECH ACTさんのコーポレートサイトリニューアルを担当しました。タレントの山田としあきさんが代表を務める株式会社SPEECH ACTのコーポレートサイトリニューアルを担当しました。 事業形態の変動に伴う、情報やコンセプトを明確に伝え、ビジュアル面でもより信頼性の持てるようにCREATIVEチームメンバー一同、意識して制作に取り組みました。 https://speech-act.net/ 代表の山田さんは、KBC九州朝日放送でのレギュラー出演の他、福岡県内の
株式会社 Beroad様のHPを制作しました!この度、株式会社Beroad様からご依頼いただき、TANOSHIKA CREATIVE東町でHPを制作させていただきました! 東町で取り組んだ、初めての大きな案件となりました。 https://beroad.co.jp/ クライアント様紹介株式会社Beroad様は、美容・健康業界での常識にとらわれない、新しいアイテムの開発に取り組む先進的な企業です。 培ってきたノウハウや最新の技術をもとにした独自の製品づくりにも取り組み、 化
読売巨人軍元監督 川上哲治●名選手、必ずしも名監督にはなれない。選手と監督とでは、やることがまるで違うのだから当然である。 ●川上は首位打者、ホームラン王、打点王に何度も輝いた名選手であるとともに、ジャイアンツのV9を果たした名監督でもある。稀有のリーダーといえる。 ●川上はジャイアンツの選手を徹底的にしごいて戦う集団に作り上げた。そしてさすがに個々の選手の性格や性質を的確に見抜いている。 ●川上によれば、王貞治や張本勲、金田正一らが神経質であったという。王、それに張本
イギリスの文学者 ドライデン●ドライデンは、イギリスの大政復古期の文壇で活躍した第一人者。詩、劇作を書き、批評家としても名を成した。 ●ドライデンの時代を見通す眼力は鋭く、合理的な決断と神速な実行で成功をおさめた。タイトルの言葉に、ドライデンの実行力の冴えがうかがえる。 ●東洋レーヨン会長の田代茂樹が昭和二十五年にアメリカ・デュポン社の開発したナイロンのライセンスを取得しようとしたとき、なかなか決断できなかった。それというのも、ライセンス使用料が二百万ドル(十億八千万円)
本田技研工業創業者 本田宗一郎●ホンダの創業者、本田宗一郎はエピソードの多い人物だが、彼の次のような雑談の中に、この言葉はある。 「僕はずいぶん部下に無理も言った。しかし、いやなことは自分がまっ先にやる、という主義をつらぬいてきた。 外国人と浜松で輸出の話をして、宴会になったんだが、ワアワア騒いでいるうちに外人が入れ歯をなくした。便所に落としたらしいのだが、その料亭の便所のツボはものすごくデカイからね。不注意にかきまわしたら大変だ。 そこで僕がもぐりこんで見当つけて、ソー
エンジンデザイナーとしての仕事と発病私は大学を卒業後、広島の自動車メーカーに入社しエンジンの設計開発の仕事に就きました。そこでは新しく発売される車に搭載するエンジンの設計をしてきたのですが、26歳の時その仕事上のストレスからメンタルが崩壊し、統合失調症になりました。その時の仕事は、エンジンのインターナル部品(ピストン、クランクシャフト、タイミングベルト関連部品)の設計業務を行っていました。設計図を描くだけでなく関連先(実験研究部門、生産技術関連部門、取引メーカーなど)との調整
私は、今の事業所(TANOSHIKA)で働き始めて6年になります。いろんな仕事をしてきましたが、中でも最も力を入れてきたのは、「TANOSHIKA HP作成」サイトの制作です。 TNOSHIKAでは、ホームページ制作の事業も行っており、外部からの依頼を受けてホームページのデザイン、コーディングの担当者がそれぞれ作業を請け負っています。 私の場合は、ホームページ制作ソフトを使って、ホームページの企画、制作、運営を一人で行っています。 「TANOSHIKA HP作成」サイトは
イギリス元首相 チャーチル●昭和三十年代のことである。Fはデパートの、ある商品の仕入れ責任者であった。このポストは「打算」なくしては務まらない。彼も長年の職業的訓練で技術としての打算は身に付けている。が、根が優しく潔癖で信義に厚い男だ。このような人間的美点を持つゆえに、彼は仕事上で苦悩することが多かった。 ●彼はある日、納入業者のパーティーに出席した。その席で一人の男を紹介された。その男は数年前この業界に参入した男だが、一味違ったアイデア商品で急激に台頭しつつある。「まもな
私が働いている事業所では、「AKARI」というメディアを運営しており福祉・障害・教育の情報を発信しています。 AKARIは生きていく上で「社会」や「自分自身」に何らかの障害を感じている方の手助けになる情報を発信し、共有するサイトです。 今回はこのAKARIの8月度のgoogleアナリティクス分析結果についてレポートします。 AKARIの8月度のgoogleアナリティクス分析結果のまとめhttps://site1.mikosi.com/akarirep202308.pdf
太閤 豊臣秀吉●豊臣秀吉は、勝負に臨んで、自分にこういいきかせていたという。勝つことを信じて決断し、決断した後は、勝つためにあらゆる努力を惜しまない。 ●果敢な決断力と行動力で、不可能を可能に変じていった秀吉の、痛快な生きかたをほうふつさせる言葉である。 ●秀吉の果敢な決断と戦闘が信長と三万の兵を窮地から脱出させた一例を「金ヶ崎退き」にみてみよう。当時、秀吉はまだ木下藤吉郎と名乗っていた。 ●1570(元亀元)年4月、信長が越前の朝倉義景を討つべく金ヶ崎(敦賀市)まで軍
活版印刷の創始者 グーテンベルク●彼の発明だといわれている金属活版印刷術は、十五世紀のドイツ宗教改革時代にパンフレットや教養書の出版をいっそう容易にして、それまで一部の聖職者、学者だけに占められていた知識を一般大衆に開放することになった。 ●大衆に知りたいという欲求、必要性があれば、それが原動力になって発明は生まれてくる。クーテンベルクは、そのことを強調しているのである。 ●それまでの木版印刷を彼が「金属活版」に変えた発明は、アラビアから伝わった「羅針盤」と「火薬」を使っ
西武グループ創業者 堤康次郎●岡山城主、池田光政は名君としての誉れが高かった。ある日、光政が家臣と伴食したとき、汁の中に虫が入っているのを見つけた。そのままふたをした光政は、家臣に、「本汁はご無用になされ、二の汁を用意してある」といった。 ●食事がすんだ後、光政は役人を呼び、先ほどの虫の入った汁を見せた。「残念であった。これからは、よく調べてからはこんでまいるがよい」 光政が、それ以上とがめだてしないのを見て、家臣が涙を流した。 「どうしたのじゃ」 光政が尋ねると、家臣は、