いつ頃までか、画家として食べていきたいと思っていた。26歳で思うところあり、花の業界に入った。花や植物を扱う作家になりたいと思った。 40歳を手前にした今では、こうありたいと思う自分は、人の拵えた「作家」という職業や、その概念に自分の身を置くこととは全く違う次元の何かで、自分が作家かどうかなどは、言ってしまえばどうでもよいと思うようになった。 恐らく、これは造園の仕事を始めてからの気付きだと思う。仕事を通して感じる、自然観、日本古来の神道や仏教的な思想、縄文文化やそれ以前の日
庭について考えている とは言いつつ、我が家には庭と呼べる場所はなく、 願望込みで、自分にとっての庭をスケッチしてみる 植物の図鑑や、植物特集の組まれた雑誌を集めて、参考になりそうな図柄を探す その作業が庭について考える行為とリンクするかは分からないが、まずは手を動かして、その時の自分の心の動きを観察するしかない というのも、自分にとっての理想の庭について考える時に、ただ流行りの植物を並べるのはどうも落ち着かず、それなら落ち着ける空間を作りたいのかといえば、それもどうも違う
ひとつ前の投稿で書いたが、今の仕事は造園の見習いをさせてもらっている。 8月、連日の炎天下の草刈りは、30分置きに頭から水道水をバシャバシャ被って乗り切った。 仕事現場の寺の生垣の陰にヒィヒィ言いながら逃げ込み、休憩中に先輩から奢ってもらったガリガリ君に心身共に救われる。 日を追うごとに暑さは厳しさを増すので、数日間に渡る草刈りも無駄な動きはなるべく省かなければと注意を払うが、それも段々頭が働かなくなり、ヨロヨロと同じ場所を何度も行ったり来たり、ただの徘徊のような動きにな
近頃は仕事柄、草むしりをする機会が増えた。 土や植物に直接触れるのが好きということもあって、除草は手袋を外して、素手で泥だらけになりながらやることが多い。 ほぼ花のみを専門としてきたこれまでの仕事のやり方から、ゆくゆくは庭づくりなどの話も受ける事ができればと、近所の植木屋で見習いとして勤めはじめて9ヶ月になる。 自分と家族の生活スタイルの変化が、知っているようで知らなかった造園という業界に、足を踏み入れるきっかけになった。 これまで花屋の店頭で庭の相談をされることも度々あ
水は低い場所へ流れるという 力学的な当たり前もある訳で 虚栄心なんかが戯言だという意味もよく分かる 夜に仕事へ出る前に 3歳の息子に行ってくるよ〜と声をかけると 「はるきは森に入りたいんだ」と言う え?森? 「森はうるさいから静かに歩かないといけない」 村上春樹の登場人物のようなことを言うので 思わず吹いたけど でもそんな、シュールな絵本の一節みたいなセリフは嫌いじゃないよ 仕事は終わると 新宿から原宿、渋谷、池尻、三茶、駒沢を抜けて、新二子橋を渡るルートで帰途に就
花を人に見立てて、感情移入をすることがあるかもしれない。 例えば花を生ける時、花に不意打ちをかけるなら、驚いた顔をするのかと思い、試みないこともないが、かえって最後はいつも花から教わることになる。 花に触れて手を動かしていくと、引き算を始めたりするが、削ぎ落とされるものは、一体何に基づいての判断なのかという問いは、自分をじっと観察する他にない。 そうすると、次は足し算への見方が少し変わる。 自分の「足す」は何かと考える。 それでも足し算は、予定調和とは相性が悪い。 鮮度
目の前を歩いている女性が、インパチェンスの鉢植えを担いでいる。濃いピンクの花が、歩く度に揺れて綺麗。 浪人一年目の夏、お世話になっていた美術講師に会いに行った。 今年一年は、とりあえずデッサンを上手くなろうと思いますと言ったら、そんなことは気にしなくて良い、夏は弁当持って海に行って遊んでりゃいいんだよ、と話してくださった。 大きな絵を描ける人は小さな絵を描けるけど、小さな絵しか描けない人は、大きな絵は描けない。物理的、精神的に。 花もだよ、ばかものよ。と自分に言う。 もう
テレビで見かける女性タレントが、愛には体力が要ると言い、ちょっと腹が減っただけで妻に当たる自分の不甲斐無さを思うと、妻の好きなコンビニのスイーツを買って帰ろうかなと考える。 ファミマに売ってる、あのたい焼きの形のやつ。 一度コーヒー味を買っていったら普通のが好きと言われ、こっそり息子のせいにしたこともあった。 確かに、言葉を並べるにも、花を束ねるにも、絵筆を握るにも、体力が不可欠だった。 「確かに」と言っておきながら、それなら、実際これまでの体力消費の原動力が何だったのかと
23時帰宅。 少し事務作業が残っていたので、1時間程で片付けて、今から夜ご飯、の前に、たまらずコンビニへ走りビールを買い求め、その道中、久しぶりnoteを開いた。 今日はずっと車を運転していた気がして、どれくらい走ったのだろうかとザッと計算してみると、150㎞ほどだった。 花屋としての稼働で、150㎞はかなりの長距離。 にしては地味な数字。 ナムジュン・パイクが、60キロの身体を移動させるのに、昔は60キロの身体しか使わなかった人類が、今や60キロの身体を移動させるのに3
先日、作業場にと考えている物件へ内見に行った。担当の方と待ち合わせの13時半より10分前に着くように、大井町線と池上線を乗り換えて、現地へ向かう。 最寄駅の、雪が谷大塚駅には初めて降りた。駅近くに広がる商店街には昔ながらの惣菜屋、定食屋、蕎麦屋、喫茶店、理髪店などが賑わっていて、気分が上がる。 駅前のチラシ配りのお兄さんと目を合わせないよう、道の端を歩くのに気を取られていたら、道を一本間違えた。 現地は駅から徒歩3分のはずが、うろうろ遠回りをすることになって、結局予定ギリギリ
ここ数日思い出すのは 祖母宅の庭で摘んだ花を生けたことで 庭を歩いて集めた草花を 叔母がどこからか持ってきた花瓶に生けた 103で亡くなった祖母は 普段はベッドにいた為 庭の花を余り見る事がなかったと 庭を歩く自分の後ろで 叔母が話していた なんとなく 生ける花の種類は 少しでも多い方が良い気がした 花を生けた その途中 普段会うことのない親戚の叔父さんが 側に座ったので 手を止めて少し話をしたり 祖母の遺品が並んだ机の上を 父や叔母と一緒に 端から順に眺めてみたりし
軽さに惹かれている。 と言うと、だいぶイメージ寄りの話になってしまう。 元々、自分は空気の重たい沼のような場所から、世間をチラ見しているタイプの人間だと、どこかで自覚している。なので楽な呼吸法を求めて、軽さを貪っているのではないかとすら思う。 本格的ですね!アーティスティックですね!などの言葉が純粋な褒め言葉には聞こえず、相手との間に存在しているかもしれない分厚い壁が、本格的という言葉によって、くっきりと実存化されてしまう気になった。 それなら、ますます変わった人だと見
ご連絡を頂いた方や、直接お会いできた方にはお伝えしておりましたが、世田谷区深沢の花屋「さて」は、お店を閉めさせて頂きました。 懇意にしてくださいましたお客様には、私の至らない部分に目を瞑り、いつも明るく声をかけて、支えて頂きました。 本当に有り難うございました。 まだお伝えできていなかった方には、お会いできた時に、またお話しさせて下さい。 「さて」はオーナーが別にいる形でのスタートとなった花屋でした。 元オーナーにも、本当にお世話になりました。 5月に入り、身のまわり
くるりの歌詞に、死にたくないなと考えたりもする、というのがあって、最近は子供の事を考えている時なんかに、ふとそんなフレーズが頭を過ぎる。 考えていると言っても人から見れば他愛も無いことで、息子の片付けのやり方が数日前より仕分けができるようになったとか、たまに「パパ」と「ママ」の呼び方が混ざって「パマ」と言ってしまうこととか、しゃぶっていた飴を口から出して「パパにどうぞする」と真剣な顔で言ってくることなんかを、子供達が寝静まった深夜のリビングで1人、ぼんやり思い出している。
花粉がだいぶ落ち着いたと言うけれど、朝からずっと鼻のむず痒さが止まらない。 飛散の酷い日は、花粉で霞んだ遠くの街並みを見るだけで、憂鬱になる。 それに朝8時、川崎市から都内へ向かう246号線は発狂する程に車が混んでいる。 前を走る、と言ってもほぼ停車状態の白い乗用車は、携帯を触っているのか、前の車が進んだのに、なかなか発進しない。 寝癖のついたような男の頭のシルエットが、ずっと俯いたまま動かない。 というか、今日の混み具合はちょっとおかしい。先で事故でもあったのかもしれな
埼玉の坂戸市。北坂戸駅前のマクドナルド。朝の9時にホットコーヒーを注文、そのまま12時、15時、18時と、その一杯で延々粘るつもりが、店員の目が気になって、大体2時間後くらいに野菜生活を注文する。これで今日は200円使ってしまった。これも自分への自己投資だと言い訳しながら、気分は少し憂鬱になる。というのも、当時22歳の頃は、月末は特に極度の貧困のため、一日100円生活を余儀なくされていたのだから、そこにきてマクドナルドで200円使うなど、随分チャラついた話だった。食事は具無し