記憶の庭
庭について考えている
とは言いつつ、我が家には庭と呼べる場所はなく、
願望込みで、自分にとっての庭をスケッチしてみる
植物の図鑑や、植物特集の組まれた雑誌を集めて、参考になりそうな図柄を探す
その作業が庭について考える行為とリンクするかは分からないが、まずは手を動かして、その時の自分の心の動きを観察するしかない
というのも、自分にとっての理想の庭について考える時に、ただ流行りの植物を並べるのはどうも落ち着かず、それなら落ち着ける空間を作りたいのかといえば、それもどうも違う
などと悶々としてしまい、理想の庭を考えることは途方もない試みのように思えて、同時に、ちょっとした事で全てのパズルのピースが一瞬で埋まっていくような、そんな予感がある
庭を思うとき、自然な場所を連想する
何か特別な、或いは人の手による作り込みが目立つような、派手なことは何かが違う
18歳の頃に描いた80号サイズの油彩画を、たまに思い出す
蔦植物、それが絡まる寂れた集合住宅のフェンス、舗装のされてない道路には土埃が舞い、少し冷たい9月の風がどこか懐かしくて、静かな陽の光、夕方5時のチャイムが聞こえて、近所のベランダには萎びた洗濯物、少し傾いた細い電信柱が並ぶ
そのモチーフは、あの時の自分の身近な場所であって、今思えば、今の自分を形成してくれた風景だった
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かき集めた植物の写真を参考にドローイングしていたが煮詰まって、
少し前に描いた水彩画を見返す
やば、早く寝よ
明日は寺の草刈りの仕事、ということで今日はここまで、、
それから翌々日、昼休憩に妻が写真共有アプリ「みてね」に載せた幾つかの写真をスクロールしていたら、今日でちょうど4歳になる息子が近所の公園で遊んでいる後ろ姿があった
その一枚が不思議と目に留まって、これをモチーフに描きたいと思った
息子達の普段見ている何気無い風景は、いつかその記憶からふと浮かんだとき、彼らにどんな感情を連れてくるのだろう
未来の息子の記憶の庭を考えるのは、とても楽しいことに思えた
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