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水脈

いつ頃までか、画家として食べていきたいと思っていた。26歳で思うところあり、花の業界に入った。花や植物を扱う作家になりたいと思った。
40歳を手前にした今では、こうありたいと思う自分は、人の拵えた「作家」という職業や、その概念に自分の身を置くこととは全く違う次元の何かで、自分が作家かどうかなどは、言ってしまえばどうでもよいと思うようになった。
恐らく、これは造園の仕事を始めてからの気付きだと思う。仕事を通して感じる、自然観、日本古来の神道や仏教的な思想、縄文文化やそれ以前の日本人について見つめ直している。

個人的な「ものを作ること」との距離感は常に変わり続けているが、今感じることは、絵を描く時だけは本当の自分が出せるとか、花に触れる時だけは自由になれるとか、そんな具合にこれまで自分の中での制作行為を特別なものにし過ぎていたのかもしれないということ。
家事も育児も仕事も、ものを作ることも、ある意味で全てが等しくフラットになれたら。
それは、自分の根っこの先にある大きな何か、例えば水脈のような何かにもう少し近づきたいと感じていることを意味していることに、薄らと気付いている。
何かに深く依存せずに、肩の力を抜く。
そのように我と向き合うことができれば、自分をどこまでもクリアにしていければ、その水脈に少しでも近づけるのではないかと考えている。

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