朝8時、246号線
花粉がだいぶ落ち着いたと言うけれど、朝からずっと鼻のむず痒さが止まらない。
飛散の酷い日は、花粉で霞んだ遠くの街並みを見るだけで、憂鬱になる。
それに朝8時、川崎市から都内へ向かう246号線は発狂する程に車が混んでいる。
前を走る、と言ってもほぼ停車状態の白い乗用車は、携帯を触っているのか、前の車が進んだのに、なかなか発進しない。
寝癖のついたような男の頭のシルエットが、ずっと俯いたまま動かない。
というか、今日の混み具合はちょっとおかしい。先で事故でもあったのかもしれない。
さっきから15分程経つのに、まだ2、30mしか進んでいない気がする。
あれ、気付いたら今日は金曜日だった。ヤバい、土曜日とばかり思っていたので、バイトを一つすっぽかしていた。でもどういうわけか、仕事先から連絡はきていない。
メールを見返すと、その派遣の仕事は来週の話だった。
マジか!なんか得した気分になり、ほくそ笑む。
もう今日は、昼間からビールでも飲むか、と声に出してみる。
窓でも開けて風に当たりたい気分だが、花粉を思い出して諦める。
目の前の小銭を追ってまわる星に生まれた。
何とかなるさ、とは思うものの、気付かぬうちに蓄積した焦燥感や、開き直りから滲み出る思いつきの言動が、心の余白を埋めていった。
いや、完全に開き直ってしまえばよいのだ。
子供の頃から人に責められると、途端に気持ちが萎んでしまい、自信を無くしてしまった。
そんな割り切りの悪さは、大人になるにつれて、自分自身すら疑え、というどこかで聞いてきた思考パターンに上手いことすり替わってきた節さえある。
今でもたまに、小学生の頃の漢字テストを思い出す。
解らない漢字はその場で創作して、答案用紙に書き込む。多分こんな雰囲気かな?と画数を増やしていく。結果、異様に画数の多い「母子手帳」や「授業参観」を作り上げ、少し後ろめたい気持ちもありながら提出する。
こりゃダメだなと分かっていても、先生に対して、努力の後を少しでも見せようという打算も多少あったと思う。
それでも一方で、漢字を作ることは、みぞおち辺りがもぞもぞとするような、面白い体験だった。
分からない漢字が出ると、さあ、どうやって作ってやろうか、とすら思った。
とにかく「しんにょう」を多用するのは避けたい。何にでも「くさかんむり」を乗せればよいというものではない。何事にもバランスが必要なのだ。
そんな創作漢字が、ある時たまたまクラスの女子に見つかってしまい、教室内で晒し者になってしまった。
その女子が言うに、先生が教室で採点をしている時に、たまたま目にしてしまったらしい。
「だって、木下くん、漢字作るもん」
だって、の接続詞も引っかかったのだが。
隣の席の女子が「え?嘘だよね?」と丸い目をして真顔で覗き込んできた。
それが、創作をしたことに対しての驚きなのか、それとも、目の前の男子が、その漢字が正解だと思っているかもしれない事への同情なのか。はたまた、誤魔化して何とかなると思っている、阿呆への呆れた言葉なのか。
いずれにしても、何が「嘘」なのかよく分からず、ただ少しヘコんで、すっかり黙り込んでしまった。
今思えば、漢字を作ったのは、その時が最後。
そもそも今では、漢字を作るような状況にはならない。
当然、テストの時間でそれをやっていたのが、そもそもの問題だった。
それでも今考えてみても、当時の自分からすると、やっぱりあの状況でないと発見できなかった、楽しいひとり遊びだった。
もし自分の息子が、全く同じことをやって学校からヘコんで帰ってきたら、「え?よく見てよ、なんか面白くない?」と皆んなに言ってやりな、とアドバイスする。
変な奴、で終わるかもしれないが、1人でも反応してくれるクラスメイトがいたら、それはもう、息子の勝ちである。
創作漢字に興じていた頃は、即興で話を作ることにもハマっていた。
一日一人の順番で回ってくる、帰りの会での3分間スピーチ。それが自分の番になると、嬉々として昨日の下校時のことや、職場体験で近所の牛舎に行ったことを披露した。
一応、前日にノートに覚え書きをして、ある程度準備を整えてから臨むのだが、いざ聴衆の前に立つと、何故か全く悪気はなく話を盛った。
皆んなのウケが良いと、楽しくなって、更に盛る。ある時は、遠足の帰りに知らない人の家に上がり込んで、勝手に炊飯器からご飯を食べた話になってしまった。これは流石に無いなと、自分の言葉にハラハラしながらも、クラスはドッとウケているので、内心ホッとした。
ありもしない話を作るので、自分のいない所で嘘付き呼ばわりをされていたのも、仕方がない。
仕方はないのだが、それでもやっぱり、少しヘコんだ。
遊ぶ時と場所を、度々間違えてきた。
それでも思い返してみると、その時でないと発見できなかったことも、色々とあったようだ。
ひょんな所から突然現れる遊びの糸口を辿っていかないと、それがテスト中であろうと、スピーチ中であろうと、部活中であろうと、仕事中であろうと、辿り着かない場所もあるらしい。
恥ばかりを晒している。
そもそも、文章を書くことも、花を飾ることも、絵を描く事も、本来なら自分のためにやっていることなのだから、一切口外せずに、一人でヘンリー・ダーガーよろしくシコシコとやっていれば良い。
それでもなぜ、つくっては見せて、つくっては見せてを繰り返しているのだろうかと、たまに考え込む。
もともと、人からちょっと強めに言われるだけで、ションボリしてしまう人間なのに。
なぜそこに関しては、まるで神経を切られて馬鹿になったように、性懲りも無く続けているのだろう。
小学校に入る頃の愉しみといえば、親からもらった広告の裏紙と小学館から出ている恐竜の図鑑を隣に並べて、好きな恐竜を手前や奥に次々と描き入れていった。
ティラノサウルスとトリケラトプスはいつもニコイチ。生息していた時代が違うので、そこにはアロサウルスは決して混ぜない。
まだ当時、図鑑の中の恐竜は今のように地面に対して身体を並行歩行しておらず、初代ゴジラのように直立していた。
そんな恐竜たちをぞくぞくと描き入れたら、ヤシの木をあちこちに生やして、弁当のバランのような草むらも欠かせない。
薄い鉛筆で下書きして、消しゴムで修正して、その上から太めのマジックでなぞり、それができたら色鉛筆で仕上げる。
完成した絵を見た父は、息子が遠近法のように近景を大きく、遠景を小さく描いていたことに気付いて、そこをとても褒めた。
父の知り合いが家を訪ねてきた時にも、わざわざその絵を持ち出して、息子の遠近法について、その知り合いの前で恥ずかしいくらい褒めた。
その知り合いのおじさんも、さらに恥ずかしくなるくらいニコニコと褒めてくれた。
恐らく、図鑑に載っていた恐竜達のいる風景をずっと見ていたから、遠くのものは小さく描くというルールを自然と覚えていたのかもしれないが、それにしても、よく褒めた。
人から褒められたら嬉しい。
だから、また絵が描けたら、すぐに走っていって見せる。
学校でも、図工の時間など皆んなクラスの絵が気になるので、隣の席をちらちらみたり、まじまじ見せ合って、お〜!と褒められて、照れくさい。だから素知らぬ顔をして、皆んなに見える場所にさりげなく絵を置いてみる。
描けたら見せる、描けたら見せる。何百万回と繰り返してきた。
今でも多分、その延長線上にいるにすぎないのだと思う。
先日、地元で自分の店を手伝ってくれていた、mさんからLINEが来た。
mさんはレッスンに通ってくれていた。花の仕事に興味があるとのことで、それならと、たまにイベントなどの手伝いをお願いしていた。
mさん以外にも、何人かそうやってこちらから、もしよかったらと声をかけてお手伝いをしてもらっていた人がいた。
花の仕事をしてみたいと言ってくれることが何だか嬉しく、こちらができることは何でもやりたいと思った。自分が持っている情報は、全て伝えていきたいと思っていた。
そんな花が好きな人達と日々接していく中で、花屋の数だけ花屋の在り方があると感じた。
その人なりの、花への接し方があるんだな、と知った。
そんなmさんが、今の仕事を辞めて、花屋になりたいので働き口を探していると連絡をくれた。
あの時、手伝いをしていたのが楽しくて忘れられずにいると、伝えてくれた。
花屋としての自分が、報われた気がした。
それがきっと、自分の花屋としての原動力になっている。
花屋は、きっとずっと辞めないだろう。
自分の信じる花との関わり方を、仮に花屋と呼ぶのなら、自分はこれからも花屋を続けていけそうな気がしている。
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