教育研究室

30代/公立中学校教員12年/学年主任 疲弊し、増え続ける休職。この現状は教育業界のピンチです。 でも、この状況は必ず変えられます。そのためにまず、私たちは教育について、あるいは社会について知ることが大切です。 ここでは、教育に必要な知識と考え方を発信していきたいと思います。

教育研究室

30代/公立中学校教員12年/学年主任 疲弊し、増え続ける休職。この現状は教育業界のピンチです。 でも、この状況は必ず変えられます。そのためにまず、私たちは教育について、あるいは社会について知ることが大切です。 ここでは、教育に必要な知識と考え方を発信していきたいと思います。

記事一覧

公教育は赤字でなければならない/ お金の新常識#1

生徒会が体現する「民主制」

エピステモロジー発達段階説

「変化が加速する時代」の嘘②

「変化が加速する時代」の嘘①

「個人の自由」と「集団の規律」

FIREという愚行②

FIREという愚行①

キレイゴトぬきの支え合い

「人権は生まれながらに持つ」の嘘

学校教育の目的「市民性」

学校の失敗は「目的置換」が9割

自己紹介|教育者の「ためになる」発信を目指します。

公教育は赤字でなければならない/ お金の新常識#1

皆さん、こんにちは。 私は中学校に勤めていますが、職員室では毎年、必要な人員が確保できない「穴」を現場の工夫で埋め合わせようと奔走し、またその「穴」は年々広がる一方です。 公教育の崩壊は、すでに進行中の危機であり、私たち教員にとっても、それ以外の国民にとっても、喫緊の課題です。 今回から、こうした問題の土台に根を張るお金についての「重大な思い違い」について、できるだけ前提知識を必要としない形でお話ししたいと思います。 教員の働き方問題は予算の問題である まず、教員の

生徒会が体現する「民主制」

はじめに 皆さんの学校では、「生徒会」はその機能を果たしていますか? 生徒会は我が国の社会の仕組みを学ぶため、小さな「民主制」の場でなくてはなりませんが、 今回は、生徒会の存在理由と、とりわけ「校則」との関係において果たす機能を改めて振り返ってみたいと思います。 生徒会 生徒会は全校生徒から成る組織で、その内部に、会員(=全校生徒)から選ばれて総意を代表する本部役員と、同じく会員から委託を受けて特定の専門的な仕事を行う「委員会」をいくつか持つのが一般的です。 また

エピステモロジー発達段階説

はじめに 学校教育において、子ども達の「教養」なるものを育もうとすることは、私たち教員にとって、最大の目的の一つであることは、誰にも異論ないと思います。 では、どういったレベルの「教養」を目指すのでしょうか? 今回は、「エピステモロジー」という概念に触れながら、義務教育段階で目指すべき「教養」の目標到達点について、私が学年主任を務める学年教員の共通理解をご紹介したいと思います。 どこまでの教養を求めるか 教養は率直に言って、「あればあるほど良い」のですから本当は、森

「変化が加速する時代」の嘘②

おさらい 教員向け研修の場で、「現在は変化の加速する予測困難な時代だ。適応せよ。」と聞かされた私。 現在は本当に「変化の時代」なのかと疑問を抱き、 公教育の視点からも、あとに述べる大きな違和感を覚えました。 そして「変化は加速しているのか」を検討するうえで、興味深いレポートを発見したのでした。 レポートの解釈 くだんのレポートの調査結果について、同レポート内では、以下のような解釈が示されています。 このあと同レポートは、必ずしも「変化は激しくない」と断定的に結論

「変化が加速する時代」の嘘①

はじめに 皆さんは、 「変化が加速する時代」「VUCA」「予測困難な社会」 といった社会認識について、どのような考えをお持ちでしょうか? 今回と次回に分けて、そういった社会認識に対する懐疑的な見方と、公教育として持つべき目線について、お話ししたいと思います。 「変化が加速する予測困難な時代」 最近私が受けた教員向け研修で、講師の先生が次のような主旨のお話をされていました。 「これからは、変化が加速する予測困難な時代なので、先生たちにも、子どもたちにも、変化に柔軟に対

「個人の自由」と「集団の規律」

はじめに 皆さんは、 生徒の「個人の自由」を尊重する一方で、 クラスや学校全体の「集団の規律」も守られないといけない、 そんな、一見すると対立的にも見える二つの指導原理の間で、戸惑いを感じたり、迷ったりしたことはありませんか? 今回は、実はこの二つは相互排他的に対立する原理ではない、という考え方をお示ししたいと思います。 「個人の自由」の広まり 1990年代以降、日本でも西洋に倣った自由主義思想が一気に広まり、「個人の自由」を最大化することこそが、先進的で洗練された

FIREという愚行②

おさらい FIREを社会全体で達成することは不可能で、 そこから、労働の真の目的が「お金」ではなく「生産物(財やサービス)」であることが見えてきました。 もっとも、お金が発明される以前から労働(マンモスを狩ったり、作物を育てたり…)はありましたから、成立順からして、そもそも労働の本来の目的がお金であった、なんてことはあり得ません。 労働も「支え合い」 経済にとって、また私たち人間にとって、大切なのはお金ではなく、生産物の方です。 共同体の経済は、各人が労働し、生産

FIREという愚行①

(※センセーショナルなタイトルに傷付けられた方には申し訳ありません。FIREを達成された個人を批判する意図はありませんのでご容赦下さい。) はじめに 皆さんは、 生徒が「FIRE(Financial Independence Retire Early)を目指すんだ!」という志を持ったら、どう思うでしょうか? 資産所得で支出の全てをまかない、労働から解き放たれた悠々自適の生活は、まさに夢のようです。 ところがFIREには、公教育者として見過ごせない、致命的な欠点があるの

キレイゴトぬきの支え合い

おさらい 権利は、生まれながらにして自然に持っているものではなく、 共同体の中で、お互いに与え合うことで成立しているのでした。 そこで、「共同体(国家)」という考え方が重要になってきます。 承認のない世界 国家の中で、国民同士が承認し合い、与え合うことで権利が成り立っている。 ではもし、お互いの承認がなければ、「所有権」も「生存権」もない、ということになります。 そうすると、お金や持ち物について「これは自分のもの」「あれは誰それのもの」と認められないので、略奪と暴

「人権は生まれながらに持つ」の嘘

はじめに 皆さんは中学生に、「なぜ権利を大切にしなければならないか」、合理的に説明することができるでしょうか? 例えば、学校教育業界でも、 「人権は、人が生まれながらにして持つ」 という表現はしばしば見られます。 ところが、中学生くらいになれば、「生まれながらに持つならば、わざわざ学ぶ必要はないのでは?」とその矛盾に気付いて、この手の議論が宿命的に持つある種の「胡散臭さ」を嗅ぎ取る子どももいます。 また、「生まれながらに…」の根拠と言われる『世界人権宣言』にも、実際に

学校教育の目的「市民性」

学校教育の意義とは、どういった点にあるのでしょうか。 例えば、より効率的に学業成績UPを目指せる「塾」が、学校に取って代わることはできないのでしょうか? 実は、こういった、学校を塾に置き換える、というような議論は、「目的置換(誤って手段が目的に置き換わってしまうこと)」を内包しています。 学校教育にとって、学業成績の向上は「手段」の一つであって、「目的」そのものではないからです。 (必要条件を十分条件と見誤っている、ともいえます) 実は、この学校教育の意義をよく考え

学校の失敗は「目的置換」が9割

学校教育の現場にも、「失敗の傾向」があります。 若いうちからこれをよく分かっていれば、大きく道を踏み外してしまうことはありません。 その傾向の最たるものが、「目的置換」です。 目的置換とは、『誤って「手段」が「目的」に置き換わってしまうこと』を言います。 具体的に、現場で見られる例をあげてみましょう。 「体育祭」や「合唱コンクール」のような行事では、それぞれのクラスが互いに練習の成果を競います。 このとき、熱心なクラス担任の先生が「絶対に勝て!負けることは許さない!」

自己紹介|教育者の「ためになる」発信を目指します。

はじめまして。 私は、関西の某地域にて公立中学校で12年、教員をしております。 年々、私たち教員の労働を取り巻く環境は悪化してきました。すぐ周囲でも、何人も、休・退職を余儀なくされる先生方を目にしました。 そのたびに「まだまだ一緒に働きたい」と願っても、頑張ってこられた先生方がさらにこの先苦しい思いを続けることになるならばと、去り行く姿をいたたまれない気持ちで見送るしかなかったのです。 私の教職経験も12年を数え、そろそろ「中堅」を演じなければならぬ時期に差し掛かり、「教